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香美郡に「コウラ」地名が存在していた

 香美郡香我美町の小字図に「コウラ」地名が見つかった。おそらく高良神社の宮床跡ではあるまいか。かつて太平洋岸の赤岡町でとれた塩を物部の奥地に運んだ「塩の道」はこの近くを通っていた。川の対岸に宗我神社があり、高知市鏡梅ノ木の「コウラ」が八坂神社の対岸であったことと類似する。またどちらも「かがみ」地名であることも何か意味があるのだろうか? 場所も特定できることから、貴重なデータである。また、すぐ側の「サバイ」も神社関連地名と見られるが、現在は民家や畑地となっている。また、ここの西方に兎田八幡宮(長さ23.4cm、幅4cmで根元刳込部と対面の関部にシカ、サギ、カエル、カマキリの4種7体が半肉彫りで描かれている弥生時代の絵画銅剣が伝来)、北方に「ミヤケ」という小字が存在することも注目である。
 上記以外に、宿毛市山奈町山田の「宮のコウラ」、高岡郡越知町横畠北(旧・片岡郷深瀬ノ村)の「コウラ」、吾川郡いの町枝川の「コウラ」などが存在することから、今回の発見で、もしかしたら土佐7郡全域にコウラ地名が存在する可能性が見えてきた。しかも交通の要所であったり、各地方の中心領域であったりするように思える。
 さらにデータを集め、場所を特定するなど、それぞれについて検証を深めていく必要がありそうだ。

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【2018/11/30 23:44 】 | 高良神社の謎 | 有り難いご意見(0)
高知県東部 “高良神社の密集地帯” 安芸郡調査の総括

 ダラダラと安芸郡のことばかり書いて、飽き飽きされているかもしれない。この辺りで「2018年秋の安芸郡調査」の総括をしておきたい。
 高知県東部の安芸地方で、高良神社及び高良玉垂命に関連している神社は、現在確認しているところ次の7社。
①芸西町和食の宇佐八幡宮境内社・高良神社
②安田町安田の安田八幡宮境内摂社・若宮神社
③安田町東島の城八幡宮
④田野町淌涛の田野八幡宮
⑤室戸市羽根町の羽根八幡宮境内社・高良玉垂神社
⑥東洋町野根の野根八幡宮境内社・高良玉垂神社
⑦東洋町河内の甲浦八幡宮境外摂社・高良神社

 まず、これだけの数と密集度は高良神社分布図を大きく塗り替えることになるだろう。⑤以外は安芸郡であるが、室戸市も旧安芸郡として含めることにした。しかし、旧安芸郡の中心部とも言うべき安芸市内には、未だ高良神社は見つかっていない。また、安芸平野に延喜式内社が存在しないことも謎だと広谷喜十郎氏が指摘している。
 個々に見ていくと、境内社としては①⑤⑥で、いずれも参拝者側から見て本殿の左手脇宮のような位置付けである。そのうち⑤⑥は右手脇宮として若宮神社がある。③④は八幡宮の祭神「応神天皇・神功皇后・高良玉垂命」の三柱として祀られている。大分県の宇佐神宮における比売大神が高良玉垂命に置き替わった形態である。福岡県で見られる「応神天皇・神功皇后・武内宿祢命」の祭神形態は「高良玉垂命→武内宿祢命」の置き替えとも考えられ、高知県安芸郡には置き替え前の原初的形態が残されている可能性がある。
 ②は祭神が「仁徳天皇・気長帯姫命(神功皇后)・高良玉垂命」となっている点が注目される。特に高知県では仁徳天皇を祀る若宮神社が少ない中で、高良玉垂命を共に祀る形態は、若宮神社としては珍しく貴重な例かもしれない。
 ⑦については境外摂社であるが、八幡宮のお祭りとは別に、高良神社としてのお祭りも行われており、高良玉垂命を応神天皇の叔母に当たる人物(與止比売のことか)に比定し、八幡神より格上の神様と位置付けている。この與止比売については邪馬壹国の女王・卑弥呼の宗女「壹與」とする説が有力であり、倭国・九州王朝との関係性が見い出された「2018年秋の安芸郡調査」であった。


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【2018/11/27 22:59 】 | 高良神社の謎 | 有り難いご意見(0)
芸西村和食の宇佐八幡宮にも高良神社があった

 安芸郡芸西村の和食宇佐八幡宮に高良神社が境内社として存在しているらしいという情報を以前から目にはしていた。9月の安芸郡調査の際にも寄りたいと思いつつも気付かずに通り過ぎてしまっていた。国道55号線から北に入った金岡山という大ざっぱなロケーションは把握していたので、今回は何とか神社の裏手にたどり着くことができ、やっと現地確認することができた。
 まずは沢山の境内社に驚かされた。高知県の神社には案内板のないところが多く、現地調査だけでは分からないことだらけ。かろうじて池に浮かぶ(この日は水が涸れて空堀のようになっていた)厳島神社だけは分かった。

 そして、一番西の端が延喜式内社論争にもなった坂本神社であろう。写真で見た覚えがある。ホームページ「高知県の観光」によると、摂社が15社ある中で主なものは5社として紹介されている。

 境內には攝社が十五あるがその中にて主なるものは五社で本社の左脇は帶媛神社と云ひ祭神は氣比大神帶媛大神のニ坐にて万治三子年九月八日の勸請である、神社の右脇は高良神社にて祭神高良玉垂命で由緒は方治三年子九月八日勸請になつて居る、高良神社の西側は嚴島神社で須勢現毘賣命を祭り萬治三年九月八日の勸請である、その西側は九頭神社で祭神は砥鹿串神にて承應ニ年本村住人野老山惣左箱門と云ふもの同村字九頭神と云ふ處を開墾中神像を掘り得て祭祀し初めしによる、九頭神社の西側は坂本神社にてこれは由緖舊く慶長十三歲猛夏吉日大工小助と記載せる棟札出でたことがある。

 高良神社は本殿の右脇、参拝者から見るとすぐ左手側になる。羽根八幡宮や野根八幡宮と同じ脇宮タイプとして鎮座している。文献と照らし合わせないと何も分からず、徒労に終わるところだった。
 東から順に①帯媛神社 ②高良神社 ③厳島神社 ④九頭神社 ⑤坂本神社 と境内社が並ぶこの配置は……。もしや『皆山集1』のあの図ではあるまいか。ずっと気になっていた図だったので、ふと思い出して確認したところ、ピッタリ一致する。間違いなさそうである。

 「安芸郡奈半利村坂本神社」と書かれているが、ここ芸西村和食の宇佐八幡宮境内の図であったのだ。「謎は解けたよ、ワトソン君」と言いたい気分である。この坂本神社については、さらに掘り下げていく必要がありそうなので、改めて論じることにしたい。

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【2018/11/23 17:15 】 | 高良神社の謎 | 有り難いご意見(0)
安芸郡の「高良玉垂命=與止比賣」説

 これまでの調査で、安芸郡田野町の田野八幡宮および安田町の安田八幡宮境内社・若宮神社、さらには安田城跡の城八幡宮にも高良玉垂命(こうらたまたれのみこと)が祀られていることが明らかになった。いずれも高良神社ではないものの、高知県東部の安芸郡が高良玉垂命祭祀の密集地帯となっていたことが判明してきたのである。 
 そして安芸郡の「高良玉垂命=與止比賣」説がどうして生まれてきたのか? その根拠の1つが川上神社の存在ではないかと推察する。安田川をさかのぼり、「ゆずぽん」でお馴染みの馬路村に向かう中間地点あたりに川上神社が鎮座する。田野八幡宮や安田八幡宮からするとほぼ北の方角で、さながら奥の院といった位置付けのように感じられる。

 『新安田文化史』(安田町、1975年)から川上神社についての記述を紹介しておこう。

川上神社

 小川の字明神口にあって、祭神を淀比売神とする。社宝の棟札に「元和十甲子年二月(1624年)当国主松平土佐守豊儀公、代官渡辺九兵衛尉・庄屋安田清右衛門・清岡三良兵衛・森源兵衛・清岡小助・清岡十右衛門・諸百姓中」とあるので、創建年代は相当昔にあることが分かる。以前は川上大明神と呼んだ。社宝に右の棟札の他に、天下一藤原武重の銘の鏡二面がある。

 「淀比売神」というのは、肥前国一宮・與止日女神社(よどひめじんじゃ)の祭神「與止日女」のことであろう。一般的には神功皇后の妹とされているが、古賀達也氏(古田史学の会代表)は多面的な考察から、「與止日女=壹與」と比定した。卑弥呼の後を継ぎ、邪馬壹国を導いた女性である。
 與止日女神社は、佐賀県佐賀市大和町大字川上1にある延喜式内社であり、旧県社。別名「河上神社」「淀姫さん」などとも呼ばれる。佐賀県を中心とする北九州地方には、與止日女神(淀姫神)を祀る神社が多数あり、そのうち6社が嘉瀬川流域にあるという。
 「カセ川」あるいはそれに類する河川名は全国的に見られる。その語源は船を繋ぐ「枷(かせ)」だという。つまり船を繋留(けいりゅう)する川の意である。邪馬壹国の流れをくむ倭国(九州王朝)は強力な水軍を率いていた。その拠点が吉野ケ里および嘉瀬川流域であったと思われる。
 「干珠」「満珠」を使い、潮の満ち引きを巧みに操って、敵を翻弄する與止姫伝説は、干満の差が激しい有明海を発祥とする説話ではないか、との指摘もある。
 また、『日本書紀』持統紀に31回の吉野行幸が記録されているが、疑問点が多かった。古田武彦氏は『壬申大乱』(2001年)で、「吉野」は大和でなく九州の吉野ヶ里を含む一帯であったとした。実際は白村江の戦い(663年)直前における水軍の視察という九州王朝内の史実を「34年」繰り下げて盗用し、持統天皇の事績として記載したというのだ。
 そして佐賀県の嘉瀬川と共通するのが高知県安芸郡の安田川である。古代において安田川河口は湖になっていて、天然の良港であったとの記録もある。また、近くの神峯(こうみね)神社(安田町字塩屋ケ森)は日本で最も古い社に属し、神武天皇東征や神功皇后の伝承も残されている。九州王朝の船団が安芸郡安田の安田川までやって来たと考えても良さそうである。

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【2018/11/17 23:19 】 | 高良神社の謎 | 有り難いご意見(0)
佐賀県「與止姫伝説」の分析(古賀論文)
 安芸郡の「高良玉垂命=與止比賣」説を紹介した際に與止比賣は神功皇后の妹とされる人物に結び付けられていると指摘した。そもそも與止比賣(與止姫)とはどのような人物なのだろうか。諸説ある中で信頼性の高い論文を見つけることができた。『市民の古代 第11集』(市民の古代研究会編、1989年)に掲載された古賀達也氏(古田史学の会代表)の論考『よみがえる壹與ー佐賀県「與止姫伝説」の分析』である。詳細はホームページ「新・古代学の扉」からアクセスして、全文をご覧いただきたい。ここでは結論だけを紹介する。
(前略)
 その人物は『肥前国風土記』に「世田姫」と記され、同逸文では「與止姫(よとひめ)」あるいは「豊姫(ゆたひめ)」「淀姫(よどひめ)」とも記されている。現在も佐賀県では與止姫伝説として語り継がれ、肥前国一宮として有名な河上神社(與止日女神社)の祭神でもある。

(中略)

 『風土記』に現われた與止姫について考察を続けたが、まとめれば次のようになる。
1). 世田姫は與止姫、淀姫と同一人物であること。
2). 九州王朝始源の人物であること。
3). 甕依姫(卑弥呼)の説話と類似した現われ方をすること。
4). 海神を従えた人物であること。

(中略)
 『古事記』『日本書紀』にある「神功皇后の三韓征伐」譚は史実としては疑問視されているが、多元史観によれば、これも本来九州王朝の伝承であったものを大和朝廷側が盗作した可能性が強い。ところが『記紀』とは少し異なった「干珠満珠型三韓征伐」譚というものが存在する。そこでは、神功皇后に二人の妹、宝満と河上(與止姫)がいて皇后を助け、その際に海神からもらった干珠と満珠により海を干上がらせたり、潮を満ちさせたりして敵兵を溺れさせるといった説話である。文献としての初見は十二世紀に成立した『水鏡(前田家本)』が最も古いようであるが、他にも十四世紀の『八幡愚童訓』や『河上神社文書』にも記されている。
 この説話で注目されるのが神功の二人の妹、宝満と河上(與止姫)の存在である(ただし、『水鏡』では香椎と河上となっている)。中でも河上は海神から干珠・満珠をもらう時の使者であり、戦闘場面では珠を海に投げ入れて活躍している。そして干珠・満珠は河上神社に納められたとあり、この説話の中心人物的存在とさえ言えるのである。この説話が指し示すことは次のような点である。まず、この説話は本来、宝満・河上とされた二人の女性の活躍説話であったものを、『記紀』の「神功皇后の三韓征伐」譚に結びつけたものと考えられる。更に論究するならば、神功皇后と同時代の説話としてとらえられている可能性があろう。たとえば『日本書紀』の神功紀に『魏志倭人伝』の卑弥呼と壹與の記事が神功皇后の事績として記されていることは有名である。要するに、神功皇后と卑弥呼等とが同時代の人物であったと、『日本書紀』の編者達には理解されていたのである。とすれば、同様に、宝満・河上なる人物も神功皇后と同時代に活躍していたという認識の上で、この説話は語られていることになる。このことはとりもなおさず、宝満と河上(與止姫)は卑弥呼と同時代の人物であることをも指し示す。
 こうして、もう一つの與止姫伝説「干珠満珠型三韓征伐」から支持する説話であることが明らかとなったのである。また、この論証は宝満=卑弥呼の可能性をも暗示するのだが、こちらは今後の課題としておきたい。

(後略)

 以上のように、與止姫は邪馬壹国の女王・卑弥呼の宗女壹與である可能性が高いということが論じられている。
 あまり公にはしていないが、安芸郡ではこの與止姫を高良玉垂命として、八幡大神よりも格上の神として、古来より崇敬してきたということが分かってきた。その裏付けとして安芸郡には淀比売神を祭神とする川上神社(安田町小川字明神口)が存在しているのである。

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【2018/11/15 09:28 】 | 高良神社の謎 | 有り難いご意見(0)
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