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筑後国の一宮ーー高良大社①

  高良神社の謎を解くには、筑後国一宮の高良大社(福岡県久留米市御井町1)について考える必要がある。古くは高良玉垂命神社高良玉垂宮などとも呼ばれた。古代から筑後国の国魂と仰がれ、筑後一円はもとより肥前にも有明海に近い地域を中心に信仰が見られる。



  本体鳥居柱を支える形で稚児柱(稚児鳥居)があり、その笠木の上に屋根がある両部鳥居は、神仏習合の名残とされ、四万十市蕨岡の高良神社もやはり両部鳥居であった。


  祭神に関しては古くから論争があり、上記のほか武内宿禰説・藤大臣説・神説など諸説がある。さらに倭の五王と深い関係があることを古賀達也氏が『新古代学 第4集』で指摘している。

  以下、「ウィキペディア」から一部引用。
  仁徳天皇
55年または78年鎮座、履中天皇元年創建と伝えられる。『延喜式神名帳』には「筑後国三井郡 高良玉垂命神社」と記載されて名神大社に列しているほか、筑後国一宮とされた。また、祭神の高良玉垂命は国内最古の神名帳とされる『筑後国神名帳』によると、朝廷から正一位を授けられたとされる。高良山にはもともと高木神(=高御産巣日神、高牟礼神)が鎮座しており、高牟礼山(たかむれやま)と呼ばれていたが、高良玉垂命が一夜の宿として山を借りたいと申し出て、高木神が譲ったところ、玉垂命は結界を張って鎮座したとの伝説がある。山の名前についてはいつしか高牟礼から音が転じ、良字の二字をあてて「高良」山と呼ばれるようになったという説もある。現在もともとの氏神だった高木神は麓の二の鳥居の手前の高樹神社に鎮座する。なお、久留米市御井町にある久留米市役所の支所の名前「高牟礼市民センター」や、久留米市内のいくつかの小中学校の校名や校歌の歌詞に「高牟礼」の名前が残っている。


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【2018/02/22 06:35 】 | 高良神社の謎 | 有り難いご意見(0)
ここが本当に高良神社?ーーin 香川県
  スマートフォンの地図を追いながら、「この辺りのはずだが……」。神社が見当たらない。こんな時は地元の人に聞くのが一番。「この近くに高良神社はありませんか?」「そこです。と言ってもお旅所ですけどね」と少し気の毒そうな返答。


  鳥居はあるがただの駐車場では? 画面上のマップには確かに高良神社と出ている。高松市香西南町の高良神社は同本町にある宇佐八幡神社のお旅所(境外末社)となっていた。
  200メートルほど離れた宇佐八幡神社の境内社に白峯神社があるが、そこに高良神社を含む五社が合祀されている。明治39年の神社整理令により、近隣の無格社が明治40年に境内社として取り込まれ、大正12年に白峯神社に合祀されたいきさつが読み取れる。


   香川県にはこの他にもいくつかの高良神社が存在するが、ほとんどは八幡宮の境内社となっている。
  尚、香川県の高良神社を調べる際に、ブログ「伝える会」さんがとても参考になり、この場を借りてお礼を申し上げます。

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【2018/02/12 07:23 】 | 高良神社の謎 | 有り難いご意見(0)
死んだらわかるけど、それでは遅い
「母の守り神は聖姫大神でした。その名前や柔らかい話し方からして、てっきり女性神と思っていました。~聖姫大神に『あなたは男性だったのですか?』と尋ねたところ、『そうです』という答えが返ってきて、驚いたことがありました」。


  今回は学問的な話ではないので、楽に聞いて下さい。最近発売された『死んだらわかるけど、それでは遅い』(北谷真雄著)という本を「先に読んでみて」と妻に言われ、読み始めました。
  すると、冒頭の体験談です。丁度、ブログ「ひぼろぎ逍遙」で姫大神は男性神という話題を目にしていたところだったので、不思議な引き合わせを感じたのです。
  父親の事故をきっかけに、霊通するようになったお母さん。自宅を神道の教会にして人助けし、著者自身も小学生のころから霊的な体験を重ねてきた、そのいきさつなどが書かれていました。


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【2018/02/08 13:25 】 | キリスト者の神社参拝 | 有り難いご意見(0)
佐川町の鯨坂八幡宮
高岡郡佐川町庄田、古来深尾領佐川郷総鎮守。『八幡荘伝記』によれば、高北開拓の元祖別府経基が承平2(932)年、別府の本領安芸郡鯨坂八幡を勧請したという。年次不詳火災消失、明治34年再建。大鳥居は昭和46年に撤去されたという。



  この鯨坂八幡宮は「本宮に品陀別命(応神天皇)を祀り、左右二社に息長帯日売命(神功后皇) 高良玉多礼日子命(竹内宿禰)の三神を祀り」と『土佐太平記』(明神健太郎著)に書かれている。それが本当なら、高知県における高良神社の空白地帯であった高岡郡に風穴があくことなる。
  現在の祭神は一般には応神天皇とのみ紹介されている。右側に摂社らしきものが2つあるので、恐らく神功皇后と高良玉垂命が祭られているのではないだろうか?
  行ってみると「橘性楠氏 正勝公奥城」と記された石碑が……。先ほどの『土佐太平記』には「父正勝は学問にふかく、才智に秀れた信仰の人だったので、中山信政は河間代官河添宗綱を尾川郷の代官として改めた後に、正勝を河間、中野郷の代官とし、鯨坂八幡宮の宮司を兼職させ、子の正顕も下代官兼書留役とした。そしてここに橘(たちばな)氏を名乗るようになった」と楠木父子が代官橘氏となったいきさつが紹介されている。


  さて、本領安芸郡にあったとされる鯨坂八幡宮は現存しないとされているが、もしかしたらと思うところが1つある。安芸郡田野町淌涛にある八幡宮である。その昔、大野豊前守が勧請したとされ、応神天皇、神功皇后、高良玉垂命の三神が祭られている。佐川町の鯨坂八幡宮と同じタイプなのだ。
  東の端、安芸郡は高知県における高良神社の密集地でもある。摂社として高良神社が祭られている八幡宮がいくつか存在する。それらについてはまた、別の機会に。


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【2018/02/08 10:19 】 | 高良神社の謎 | 有り難いご意見(0)
四万十市蕨岡の高良神社


四万十市蕨岡の高良神社。まずはここから始めよう。鳥居横の案内板に謎めいた記述がある。「祭神は大夫天皇、武内宿祢命」「天皇という小字、瓦が菊の紋」など。土御門天皇の御在所説まで出てきている。

 

『中村市史 続編』によると「もと大武天皇 明治元年改称」とある。大正3年天満宮を合祭、他に厳島神社・神母神社・稲荷神社・高知神社・竈戸神社5社を合祀している。
さて、この大夫(大武)天皇とは何者なのだろうか? 大阪府豊能郡豊能町に天武天皇宮と呼ばれる場所があり柏尾宮とか大武(ダイブ)天王宮とも呼んでいたという。「大婦天皇御宝前、正徳元年九月吉日」と刻された石灯籠もある。天武→大武→大婦と変化したというのだ。
それとも、福岡県飯塚市の大分(だいぶ)八幡宮とのつながりを考えるべきだろうか?
可能性としては無いわけではないが、いずれにしても決め手に欠ける。行き詰まり、悩んでいたところ、高知市鏡の八坂神社を調べた際に新たな仮説が浮かび上がってきた……。


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【2018/02/06 01:32 】 | 高良神社の謎 | 有り難いご意見(0)
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