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  • 2024.05
弥生時代の最先端超薄型硯(すずり)――ついに高知県でも発見
 「高知の弥生時代、文字使用? 県内3遺跡で『すずり』」
 1年以上待ち続けていたニュースが飛び込んできた。福岡県に始まり、山陰・近畿など全国的に弥生時代の硯(すずり)が数多く見つかってきている。その大半は「砥石(といし)」を再鑑定して、実際は硯と判明したものだ。

 高知県内でも2000~2008年に3つの遺跡で出土していた板状の石6点が、弥生時代に墨をすりつぶすために使った硯と推測されることが確認された。とりわけ注目されるのは四万十市の古津賀遺跡群における紀元前後の竪穴住居跡から出土した遺物4点。このうち厚さ3mmと極端に薄い1点は、弥生時代の石器工房・国際貿易港と考えられている御床松原遺跡(福岡県糸島市)の出土品と類似しているという。一方、伏原遺跡(香美市)と祈年遺跡(南国市)の各1点は、3世紀後半の遺構から出土していたもの。
 鑑定にあたった国学院大学の柳田康雄客員教授は「御床松原遺跡以外で、5ミリ以下の板石が見つかったのも初めて。今回の硯が発見されたことで、一定の文字文化を前提とした交流が(北部九州と)あった」と話している。

 古田武彦氏によれば、足摺岬付近の四万十市一帯は『魏志倭人伝』に登場する「侏儒国」に比定される場所である。紀元前後という古い段階から九州北部とのつながりを示す超薄型「方形板石硯」の発見は、今さらながらに古田説の先見性を物語っている。それよりやや遅れて、県中央部の伏原遺跡と祈年遺跡の硯のほうは3世紀後半の遺構から出土しているとのこと。この事実は高知県西部の波多国造(崇神天皇の治世)が、都佐国造(成務天皇の治世)よりも先に置かれたとする『国造本紀』の記述ともよく一致している。
 高知県立埋蔵文化財センターと南国市教育委員会が、調査結果を発表したのは4月26日。その2日前、「発掘速報展 西野々遺跡」初日(24日)のギャラリートークの時点では、本物の砥石についての展示と解説はあったものの、硯の発見については、まだ極秘にされていたということか。
 弥生時代の始まりについて、従来の歴史教科書では2300年前、あるいは紀元前4世紀などと記述していた。ところが最近の研究で、稲作開始の時期がもっと早まることが分かってきた。それに合わせて埋蔵文化財センターの年表も弥生時代の始まりを2800年前、すなわち500年さかのぼらせている。
 今後は文字の伝来や文字使用についても、これまでの教科書の記述を大きく改める必要性が出てきそうだ。そもそも建武中元二年(57年)に後漢の光武帝から賜った金印の印文漢委奴國王」が読めていなかったとしたらナンセンスである。
 今回確認された硯は、南国市篠原の埋蔵文化財センターで4月28日~5月8日(土曜休館)、四万十市中村の市郷土博物館で5月10日~29日(水曜休館)に特別展示される。本当の意味での「速報展」になりそうだ。



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【2022/04/28 07:56 】 | 教科書 | 有り難いご意見(0)
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