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古田史学論集第二十七集「倭国から日本国へ」発刊
 古代に真実を求めてシリーズ『古田史学論集第二十七集「倭国から日本国へ」』(古田史学の会編、2024年4月15日)が発刊された。タイトルの通り、特集は「倭国から日本国へ」。中国史書と『日本書紀』『続日本紀』などとの齟齬や、九州年号、難波宮、飛鳥宮出土木簡、『記紀』の隼人などを手がかりに、古代史の画期である九州王朝(倭国)から大和朝廷(日本国)への王朝交代の真実に迫る諸論考を収録している。
 いわゆる「ONライン」にスポットを当てた特集内容というわけだ。日本列島の支配者(主権王朝)として、古田武彦氏は700年までを倭国(Old:九州王朝)、701年以降を日本国(New:大和朝廷)と見なし、その画期として「ONライン」の存在を提唱した。近畿天皇家一元史観に対する、斬新ながらも史料根拠に基づいた主張である。
 大宝律令および年号建元の701年をもって王朝交代と見ることは妥当であるが、政権が移行していくプロセスについてはまだ十分理解されていないところが多い。本書は、ON両者の勢力関係や従来から疑問とされてきた点などについて、深く研究し掘り下げられた論文の集大成となった。
 特に今回注目されているのは、谷本茂の「倭国から日本国への『国号変更』解説記事の再検討」とする論考で、新・旧『唐書』における倭と日本の併合関係の逆転をめぐって、漢文の読みを再検討し、新たな解釈を示した。個人的には服部静尚氏の「俾彌呼の鏡――北九州を中心に分布する『尚方作鏡』が下賜された」とする論考がちょっとすごいと考えている。根拠薄弱な「三角縁神獣鏡」説を打破し、明瞭な代案を示すものとなるかもしれない。今回の特集とは離れたテーマであるが、よく検証すべき問題である。
 以下に目次を引用しておく。表紙は淡泊に抑えた印象だが、掲載されている論文内容は濃いもになったと評価する。

<目次>
巻頭言 三十年の逡巡を超えて[古賀達也]
特集 倭国から日本国へ
 「王朝交代」と消された和銅五年(七一二)の「九州王朝討伐戦」[正木裕]
 王朝交代期の九州年号――「大化」「大長」の原型論[古賀達也]
 難波宮は天武時代「唐の都督薩夜麻」の宮だった[正木裕]
 飛鳥「京」と出土木簡の齟齬――戦後実証史学と九州王朝説[古賀達也]
 『続日本紀』に見える王朝交代の影[服部静尚]
 「不改常典」の真意をめぐって――王朝交代を指示する天智天皇の遺言だったか[茂山憲史]
 「王朝交代」と二人の女王――武則天と持統[正木裕]
 「王朝交代」と「隼人」――隼人は千年王朝の主だった[正木裕]
 倭国から日本国への「国号変更」解説記事の再検討――新・旧『唐書』における倭と日本の併合関係の逆転をめぐって[谷本茂]
 コラム 「百済人祢軍墓誌銘」に〝日本〟国号はなかった!
 
一般論文
 『隋書』の俀国と倭国は、別の存在なのか[野田利郎]
 『隋書』の「倭国」と「俀国」の正体[日野智貴]
 倭と俀の史料批判――『隋書』の倭國と俀國の区別と解釈をめぐって[谷本茂]
 多元的「天皇」号の成立――『大安寺伽藍縁起』の仲天皇と袁智天皇[古賀達也]
 法隆寺薬師仏光背銘の史料批判――頼衍宏氏の純漢文説を承けて[日野智貴]
 伊吉連博徳書の捉え方について[満田正賢]
 『斉明紀』の「遣唐使」についてのいくつかの疑問について[阿部周一]
 俾彌呼の鏡――北九州を中心に分布する「尚方作鏡」が下賜された[服部静尚]
 
フォーラム
 海幸山幸説話――倭国にあった二つの王家[服部静尚]
 豊臣家の滅亡から九州王朝の滅亡を考える[岡下英男]
 
付録
 古田史学の会・会則
 古田史学の会・全国世話人名簿
 編集後記


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