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 5月3日は「ゴミの日」だとか。ところで、仏教が伝わった年を「ゴミ屋(538年)さんから仏教伝来」と日本史で習った。しかし、これには異説があって、552年とする説もあることを後で知った。これでは学生たちもどっちで覚えたらいいのか混乱してしまう。挙句の果てには「午後に(552年)、ご参拝(538年)」などと、苦し紛れの暗記法を編み出さざるを得ない。一体、どちらが正しいのだろうか。
 高校の教科書『詳説日本史』(山川出版社)P28には、「6世紀には百済から渡来した五経博士により儒教が伝えられたほか、医・易・暦などの学術も支配者層に受け入れられ、仏教も朝鮮半島から伝えられた」と書かれており、その解説として次のようなことも記述されている。
 日本にもたらされた仏教は、北伝仏教の系統に属するもので、西域・中国・朝鮮半島を経て公式に伝えられた。百済の聖明王(聖王、明王とも)が欽明天皇の時に仏像・経論などを伝えたとされるが、その年代については538年(『上宮聖徳法王帝説』『元興寺縁起』)とする説と552年(『日本書紀』)とする説があり、前者の説が有力である。ただ一部の渡来人のあいだでは、それ以前から信仰されていた可能性がある。
 『日本書紀』では欽明天皇十三年(552年)とし、通常ならば『日本書紀』の記述を絶対視しそうなところであるが、むしろ538年説が有力とされている。それは『上宮聖徳法王帝説』『元興寺縁起』などに欽明天皇御代の「戊午年」に百済の聖明王から仏教が伝来したとあることから、538年に当てたものだ。
 ところが、欽明天皇の治世は540~571年で、戊午の干支年が存在しない。そのため、欽明以前で最も近い戊午年である538年(宣化天皇3年)が有力と考えたわけだ。だが、それ以前から仏教が信仰されている現実があることが知られており、明らかに矛盾を内包しながら、仏教伝来538年説が定説となっているのだ。専門家は逃げ道を用意しており、「一部の渡来人のあいだでは、それ以前から信仰されていた可能性がある」とし、538年は「仏教公伝」との表現を使用している。それ以前は私的な仏教受容にすぎないとしているわけだ。
 古代、三国に分かれていた朝鮮半島においては、それぞれ各個に仏教が公伝された。高句麗へは372年。百済では、これより若干遅れて384年。残る新羅においてはさらに遅れ、5世紀始めごろに高句麗から伝えられたという。日本への仏教伝来が6世紀というのは、隣国の情勢から考えると、あまりに遅すぎるのではないだろうか。
 干支は60年ごとに繰り返す。「戊午」が信頼できるとするなら、538年に限定する必要はない。可能性としては478年や418年の戊午年なども候補として、その整合性を検討するべきだろう。


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 大学時代に『「邪馬台国」はなかった』(古田武彦著)を読んで、夜寝られなくなりました。古代史に関心を持つようになったきっかけです。
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