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オーテピアの図書館に『古代に真実を求めて21集』
  開館に王手がかかっていたオーテピアがついに7月24日にオープンした。2階と3階が高知図書館。ゆったりとしたスペースに本が並ぶ。広すぎて本を探すのに苦労しそうだ。郷土史のコーナーも確認してきた。

 気になっていた『発見された倭京――太宰府都城と官道(古田史学論集第21集)』が『失われた倭国年号《大和朝廷以前》(古田史学論集第20集)』と並んで置かれていた。休館中の3月に発刊された本である。
 そして4階に土佐史談会の事務所、5階が高知みらい科学館である。プラネタリウムは完全予約制とのこと。学習ルームや休憩室も完備。高知の学術向上に寄与してくれることを願う。

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【2018/07/25 23:33 】 | 教科書 | 有り難いご意見(0)
石鏃出土の最多は唐人駄場遺跡
『幡多のあけぼの 考古学よもやま話』(木村剛朗著、平成3年)は高知県の縄文時代を知る上で欠かすことができない一冊だ。その中で「石鏃が最も多く出土する遺跡は、足摺半島の先端部近くにある唐人駄場遺跡と、中村市蕨岡の奈路駄場遺跡である。この遺跡で採集された石鏃は数百点にものぼる」としている。
唐人駄馬
 唐人駄場遺跡と言えば、かつて古田武彦氏が縄文時代の灯台とされる鏡岩の調査に来られた場所である。巨石群が天然のものか人為的に配置されたものかは議論があるところだが、縄文時代における一大中心地であったということは専門家も認めるところである。
 一方の奈路駄場遺跡は現在は四万十市蕨岡の高良神社が鎮座する川の対岸にある。縄文〜弥生時代の遺跡で、栗の実型の首飾りが出土している。幡多国の中心部が四万十川流域に移行してきたのだろうか?

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【2018/07/25 00:20 】 | 教科書 | 有り難いご意見(0)
堤真一×アメリカ謎の古代遺跡~先住民3000年の記憶~
  『堤真一×アメリカ謎の古代遺跡~先住民3000年の記憶~』と題する番組が放映された。番組をチェックしていたわけではないが、縄文人とネイティブアメリカン(インディアン)との繋がりを考える上で、是非とも見ておきたい内容だった。
    まず、チャコキャニオン遺跡(850~1150年)のプエブロボニート(美しい家)。太陽の動きに合わせて造られた建造物。二階の窓から射し込む冬至の太陽の光が壁の角の部分にピッタリとそろうように出来ている。
    縄文時代の遺跡を見てもそうだが、三内丸山遺跡や大湯ストーンサークルなど、冬至の日没や日の出の方角を意識して造られている。アメリカの遺跡は比較的に新しいけれども、冬至を1年の基準とするところは縄文文化と通じるものがある。
    彼ら(プエブロ族)は電気や水道を使わず、民族の伝統を守り抜こうとしてきた。もしかすると日本から渡った縄文人の伝統が引き継がれていた可能性はないだろうか?

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【2018/05/31 08:05 】 | 教科書 | 有り難いご意見(0)
中世幡多荘の研究ーー大利恵子さん
    ラジオから「南国市の大利さんが幡多荘の研究で平尾学術奨励賞を受賞」というニュースが聞こえてきた。ネットニュースで確認すると以下のような内容であった。

平尾学術奨励賞に高知県南国市の大利さん  中世幡多荘研究で新説
(2018.4.28
  高知県の歴史や民俗などに関する優れた研究をたたえる「平尾学術奨励賞」の第39回受賞者が、仏教大学研究員の大利(おおり)恵子さん(63)=高知県南国市緑ケ丘1丁目=に決まり、公益財団法人高知新聞厚生文化事業団(宮田速雄理事長)が27日発表した。大利さんは、中世の土佐西南部に存在した荘園「幡多荘」の実態について史料から再検証。荘園の範囲や一条家との関係について新説を提示した。

  どのような研究内容なのか、気になっていて調べてみると論文が閲覧できた。その一部を紹介したい。幡多地方を研究する上で参考になることも多そうだ。

九条家領土佐国「幡多郡」の伝領とその特質
大利恵子
はじめに
  九条家領土佐国「幡多郡」は、建長二年(一二五〇)、九条道家が家領を子女に分配した際に、四男実経に分与した四十一ヶ所の内の一所である。処分状に載る家領の中では唯一郡名で挙げられる所領であり、土佐国「幡多郡」という記載に続き本庄、大方庄、山田庄、以南村、加納久礼別符の五ヶ所の荘園名が記されている。
  幡多郡は国造時代の波多国で波多・畑とも書かれ、大化改新によって成立した土佐国に併合されて幡多郡になったと言われ、東西に長い土佐国の西南部約四分の一を占める平野の少ない広大な地域であって、土佐七郡の中では国府があった長岡郡から最も遠い。そのような地に九条家領が形成された要因は何であろうか。

(中略)
②その「幡多郡」については、支証となる文書の類が見い出せないにも拘わらず、九条家一門の間では鎌倉幕府からの支給地であると認識され続けてきた。幕府が一郡を支給するという形で考えられるのは郡地頭職であるが、一方で道家の惣処分状には五ヶ所の荘園名が追記されて幕府給恩の預所の存在が知らされ、この家領の性質が国衙領であるのか荘園であるのか客観的に理解し難い。また惣処分状で追記された五ヶ所の荘園は幡多郡を五分割する単位ではなく、そのうち一ヶ所は高岡郡にあったと考えられる。このことから家領「幡多郡」は幡多郡の郡域と同一ではなく、荘園とその他を含み、加えて高岡郡の一部をも抱え込んだ範囲であり、それは漠然とした、且つ多分に「観念的」な認識であった可能性が高い。

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【2018/05/30 23:31 】 | 教科書 | 有り難いご意見(0)
新刊『葬られた驚愕の古代史』の中身は?
  古代史の世界で兄弟子と慕う合田洋一氏の5作目となる本が出版された。『葬られた驚愕の古代史』(合田洋一著、2018年5月28日発売 創風社出版)である。サブタイトルは「越智国に“九州王朝の首都”紫宸殿ありや」となっていることから、いよいよ「紫宸殿」問題に本格的に言及されているのだろう。このテーマは高知県の「内裏」問題とも関連性があるので見逃せない。
  目次は以下のようになっている。いずれも興味深い内容ばかりである。

第一編 伊予に在った古代王国「越智国」
第二編「日出ずる処の天子・多利思北孤」の伊予行幸
第三編 万葉集を彩る九州王朝の天子・中皇命とは
第四編 九州王朝の天子・斉明と熟田津
第五編 永納山古代山城築造の背景
第六編 九州王朝存在の証―「評」による証言
第七編 越智国に「紫宸殿」あり 九州王朝の幻の首都だった
第八編 天武天皇の謎―「万世一系」系図作成の真相
第九編「九州王朝」の終焉と新生「日本国」の成立
追編「古代史の万華鏡」


  さて、合田洋一氏といえば、かつては「道後の敵」とまで呼ばれたことがあった。「道後温泉は日本最古の温泉ではない」「聖徳太子は来なかった」など、歯に衣着せぬ物言いで、地元の観光業界からは、大いに煙たがられたことであろう。しかし敢えて苦言を呈する動機は、「偽りの歴史を残しては、後世の笑い者となる。真実を明かさなくてはいけない」との一念であった。
  近年では「合田の言っていたことは正しかった」と地域の名士たちも認め出している。北海道出身の合田氏が古田武彦先生と出会って、還暦から始めた古代史研究が遂に実りを結ぼうとしている。まだまだ解明しなければならない課題は残されている。今後とも、古田史学を基軸とした合田洋一氏の歴史研究に期待したい。


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【2018/05/29 22:23 】 | 教科書 | 有り難いご意見(0)
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