毎年3月下旬に刊行される「古代に真実を求めて」シリーズの最新刊・古田史学論集第25集『古代史の争点』がついにお目見えした。期待していたイメージとはやや異なっていたが、その内容を簡単に紹介しておこう。追って『新・古代史の扉』や明石書店のホームページ等でも取り上げられることだろう。 古代に真実を求めて
古田史学論集第25集
『古代史の争点 ー「邪馬台国」、倭の五王、聖徳太子、 大化の改新、藤原京と王朝交代―』
<目次>
【特集】
古代史の争点
ー「邪馬台国」、倭の五王、聖徳太子、 大化の改新、藤原京と王朝交代―
◆「邪馬台国」大和説の終焉を告げる
ー関川尚功著『考古学から見た邪馬台国大和説』 の気概ー
◆「邪馬台国」が行方不明になった理由
◆伸弥呼・壹與から倭の五王へ
◆二人の聖徳太子「多利思北孤と利歌彌多弗利」
◆聖徳太子と仏教
―石井公成氏に問う―
◆「鴻朧寺掌客・裴世清=隋・煬帝の遣使」説の妥当性について
―『日本書紀』に於ける所謂「推古朝の遣隋使」の史料批判ー
◆九州王朝と大化の改新
ー盗まれた伊勢王の即位と常色の改革ー
◆九州王朝の全盛期
ー伊勢王の評制施行と難波宮造営ー
◆王朝統合と交代の新・古代史
―文武・元明「即位の宣命」の史料批判―
◆王朝交代の真実
―称制と禅譲ー
◆中宮天皇
ー薬師寺は九州王朝の寺ー
コラム①『鬼滅の刃』ブームと竈門神社コラム②小野妹子と冠位十二階の謎コラム③教科書から聖徳太子は消えるのか?コラム④北部九州から出土したカットグラスと分銅
裏表紙のキャッチコピーは次のような内容になっている。奴国とされた場所に邪馬壹国はあった
聖徳太子は二人実在した
倭国改革の立役者その名は伊勢王
なぜ薬師寺は二つあったのか?
古代史の争点を多元論で読み解く
あえて各論考のタイトルのみを記すにとどめておいたが、今回の第25集『古代史の争点』は「古田史学の会・関西」の四天王による共著という色合いが強い。古田史学の中心テーマに絞ったため、バラエティー感には欠けるが、「邪馬台国大和説」の矛盾点を明確に指摘し、「多元史観・九州王朝説」という歴史観を明示し、学術的にはレベルの高いものになっている。
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