2022年4月24日から、「発掘速報展 西野々遺跡」(主催:高知県立埋蔵文化財センター)が始まった。西野々と聞いても、地元の人間ですらどこにあるかピンと来ないかもしれない。高知龍馬空港の北西、南国市立香長中学校の西にある丘陵の麓、物部川とその支流により形成された扇状地に立地している。 高知南国道路の建設に伴い、平成16〜19年度にかけて西野々遺跡の発掘調査が実施された。平成22年度までには、 発掘成果の整理作業を行い 『西野々遺跡Ⅰ〜Ⅲ』の報告書3冊が刊行されている。 ということは‘発掘速報展’と呼ぶには時間が経ち過ぎている。まあ、今までの慣例でタイトルをつけてしまったということだろうか。けれども初日のギャラリートークでは、新鮮な発見もあったので良しとしよう。 発掘調査では、弥生時代から中世にかけての竪穴建物跡や掘立柱建物跡、横列や溝、土坑、道路遺構、中世墓などを含めて約2万か所の遺構が確認されている。とりわけ注目したのは幅3~5mの道路遺構である。香長中学校付近で道路遺構が出ているという話は以前から耳にしていたが、詳細はあまり知らなかった。それもそのはず、遺跡名と結びつかなかったのだ。
南海道土佐国における古代官道の遺構といえば、「祈年遺跡」における幅6mの南北道。それと昨年の発掘速報展「高田遺跡」の幅10.4mの東西道が注目されている。実は西野々遺跡の道路遺構はそれらに先行して発掘されていたものだ。古代官道とするには道路の規格としてワンランク落ちるようであり、「主要な官道(本線)に繋がるような枝道 (支線) であった可能性」と判断している点はうなずける。 周辺の遺跡群との関連からも、この遺跡が持つ意義は大きい。西野々遺跡の南には、里改田(さとかいだ)遺跡があり、字「道源寺」の地名遺称が残る。これは『続日本紀』天平勝宝八年(756年)、「土左国道原寺」の記載と関連すると考えられている。 東には、1000人規模ともいわれる弥生時代最大級の田村遺跡群があり、『土佐日記』に書かれた紀貫之の寄港地「おおみなと(大湊)」は物部川河口付近に比定される(緒説あり)。北上すれば、長岡評の評衙関連施設ではないかと注目されている若宮ノ東遺跡や法起寺式伽藍配置の野中廃寺跡、そして土佐国府推定地 (土佐国衙跡)に達する。 遺跡名のインパクトの弱さのせいか、あまり注目されてこなかった「西野々遺跡」に再度目を向けさせた今回の発掘速報展。周辺での新たな発見が相次ぐ中、遅きに失したとはいえ、いいところにスポットを当てたタイムリーな企画だったかもしれない。 PR |
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