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『鬼滅の刃』ブームと竈戸(かまど)神社⑧ーー吾川郡いの町

 全国の一級河川の水質ランキングでも連年1位(国土交通省調べ)を記録している奇跡の清流仁淀川。その川沿いに拓けた吾川郡いの町は土佐和紙の産地としても有名である。春先には花見客でにぎわう仁淀川堤防桜堤公園のたもと。相生川が仁淀川に流れ込む川口付近に、いの町では数少ない竈戸神社の一つが鎮座する。
 『鎮守の森は今』(竹内荘市著、2009年)で紹介されているのは柳瀬上分の一社のみ。『追補版』と合わせて、著者自ら拝観して回った高知県内2622社の中には、33社(本編24+追補9)の竈戸神社(竈神社なども含む)が掲載されているものの、面積に比して、いの町は竈戸神社が少ないように感じる。もしかしたら本に紹介されていない神社がまだあるのかもしれない。
 『鬼滅の刃』ブームと関連して、全国的に竈門神社を聖地化しようという動きが広まった。これまでにも説明してきたように、高知県での標準的な漢字表記は「竈戸神社」である。いの町といえば、細田守監督の映画『竜とそばかすの姫』の舞台にもなった波川(はかわ)公園や伊野駅など、むしろそちらの映画関連の聖地化が進んでいる。

 その土讃線JR伊野駅にも近く、「厩ノ尻」地名のさらに西「池ノ尻」付近に今回紹介する竈戸神社が鎮座する。扁額には「上田神社」「竈戸神社」が併記され、上田家の先祖神と思われる上田明神が合祀されているようだ。

 「〇〇ノ尻」は「〇〇跡」を意味し、「池ノ尻」という地名から、かつて相生川口に池があったと推定される。数年前、朝倉義景氏は紀貫之船出の地は大津(古くは大角)ではなく、地検帳に記載された「カウツ池」のカウツを国府津と考え、長らく信じられてきた従来説を打ち破る新説「土佐国国府要人船出の地についての歴史地理学的考察ー紀貫之ー」(『土佐史談270号』土佐史談会、2019年3月)を提示した。説得力のある説で大いに勉強になったが、一点疑問があって「カウツは川津の可能性はありませんか?」と質問したことがあった。 川口の池は川津に適した場所となり、河川交通の要所となる。「厩ノ尻」との位置関係から仁淀川の渡し舟を係留する川港だったかもしれない。それを裏付けるかのように、この川岸には「いのの大国さま」と言われ、土佐の三大祭りの一社でもある椙本神社の御神体が流れ着いたという伝承もある。

いののかみ この川ぐまに よりたまひし
日をかたらへば ひとのひさしさ
   釈迢空

 近くには中世の荘園制度に由来する地名「今在家」もあることから、有力百姓とそれに連なる小作人で形成された集落があったことが想定される。堤防のすぐ内側にある竈戸神社は今在家の人々によって祀られてきたものだろうか。
 4月20日から「『鬼滅の刃』全集中展 無限列車編・遊郭編」が東京会場で始まった。終了後は6月16日より福岡、7月15日より札幌でも開催される。また、石川、大阪、宮城、広島、愛知の5か所でも開催が予定されているが、なぜか四国上陸はなさそうだ。独自に『鬼滅の刃』ブームと竈門神社の秘密に全集中していきたい。


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【2022/04/22 08:18 】 | キリスト者の神社参拝 | 有り難いご意見(0)
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