前回の“愛媛県の高良神社⑦前編ーー御荘八幡神社 境内社”において書ききれなかった内容を補っていきたい。まずは境内に見当たらなかった日吉神社について。愛媛県神社庁のホームページには御荘八幡神社境内社として高良神社と日吉神社の2社が並び掲載されている。
『愛媛県神社誌』(愛媛県神社庁、昭和49年)で確認したところ、「〔飛地境内神社〕日吉神社(大山咋命) 御荘町平城馬場」(P602)とあることから、別の場所に鎮座していることが判明した。実際に高良神社と並び鎮座している境内社は八坂神社である。この並びは、“徳島県の高良神社②ーー三好市山城町末貞”で紹介した高良神社の脇宮として八坂神社が鎮座していた形態とよく似ている。ブログ『御朱印のじかん』によると、この八坂神社は「大雀命(仁徳天皇)を祀る」「八坂神社の祭神が仁徳天皇とは珍しいですね! もしかしたら。スサノオの間違いかも」とコメントされていた。神社通ならば当然の反応であろう。
境内社・八坂神社についての説明が見当たらなかったので、私もてってきり祭神はスサノオまたは牛頭天皇あたりかと思い込んでいた。だが、仁徳天皇を祀っていたと知って逆に納得する部分もある。南宇和地方は若宮神社(祭神:仁徳天皇)の密集地帯(”南宇和郡の若宮神社の祭神は全て仁徳天皇であった”)なのである。 若宮神社は本宮に対して御子神を奉斎する宮の意である。本宮の御分霊を奉斎する宮は本宮に対して今宮、又は新宮と称える。愛媛県における若宮神社は68社。そのうち仁徳天皇を祀る27社中15社が南宇和地方に集中する。しかも、この15社には境内社などは含まれず、全て単立の若宮神社であることからしても、南宇和の特異性が感じ取れる。僭越ながら『愛媛県神社誌』の評価には疑問がありそうだ。 これは高知県でも見られた現象であるが、江戸時代の「若宮インフレーション」(“江戸時代の若宮八幡は先祖を祀っていた”)により、先祖神を祀る神社が若宮と呼ばれ、多く祀られるようになった。愛媛県でも実質は先祖神など仁徳天皇以外を祀る神社のほうがずっと多い。そして、仁徳天皇を祀る若宮神社27社の過半数が南宇和地方に鎮座するという偏在性 を示しているのだ。 すなわち、仁徳天皇を祭神とする若宮神社こそ、本来は高良神社とセットなのであり、「京都の石清水八幡宮にならった」とするのは推測にすぎない。多くの場合、高良神社と若宮神社は八幡神社の脇宮として本殿の左右に対となって鎮座する。御荘八幡神社の2つの境内社も元来は高良玉垂命と仁徳天皇のセットだったと推測され、どういう理由からか、若宮神社が八坂神社に置き換わっていたことになる。 愛媛県には斉明天皇などに関して「故有りて牛頭天皇と号す」との『無量寺文書』の記述が存在する。牛頭天皇はすなわち八坂神社の御祭神でもある。若宮神社についての考察は、高良神社の謎の御祭神・高良玉垂命が何者であるかを探求する一つの手がかりともなる。さらに踏み込んだ研究が求められそうだ。 PR |
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