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 『愛媛県神社誌』(愛媛県神社庁編、昭和49年)によると、愛媛県には高良神社(高良玉垂を含む)が11社あることになっている。支部名で松山3社、南宇和2社、新居浜、西条、周桑、忽那、伊予、宇和島各1社。全て境内社となっている。島嶼部や宇和島などはなかなか行く機会がないだろうと思っていたが、不思議な縁で2月14日(土)に宇和島市を訪れることになった。ちょっと中心地からは離れていたが、思い切って高良神社を訪ねてみることにした。

 宇和島市(旧北宇和郡)津島町高田乙九二番地に旧郷社、(高田)八幡神社が鎮座する。そこの境内社が昔は高良神社と呼ばれていたというのだ。
八幡神社 旧郷社
神紋 丸に橘
【主祭神】 應神天皇
【配神】神功皇后、宗像三女神
【境内神社】 得寿森神社(高良玉垂命、天照大御神、須佐之男命他四三座)
【例祭】 一一月三日
【本殿】 切妻造瓦葺、間口五間 奥行四間 二〇坪(霧囲とも)
(途中省略)
【氏子】 二〇〇戸

【宝物】 童形御神像、高田八幡文書、瓶子(以上県指定文化財)、棟札二枚、獅子頭(以上町指定文化財)、太刀
【由緒沿革】戦国時代の領主及び南朝方武将の崇敬が篤く、当社に残る願文、寄進状など古文書は、重要文献である。当初は、高田の誉田森に鎮座、次で松ヶ崎、得寿、得寿森と奉遷した。崇徳天皇の天治二年に社殿再建、鎌倉及び室町時代に津島郷領主越智通孝、通顕により社殿を再興、現在の本殿は貞享五年の建築になり、昭和三九年一〇月に本殿屋根、拝殿、中殿を改築した。
 得寿森神社(境内神社) 初め高良神社と称したが、明治四二年四月に部落の全社と近郊の小社を合祀して得寿森神社と改称した。昭和三九年一二月に社殿を改築した。(『愛媛県神社誌』P574~575)
 【由緒沿革】から読み取れるのは、かつては高良神社と呼ばれていて、一町村一社を原則とする神社合祀令の際に近隣の小社を合祀して得寿森神社と名称変更したことだ。とりわけ愛媛県は三重県や和歌山県と並び、明治39年の神社合祀令の影響を強く受けて神社数が大幅に減少している。八幡神社は別の場所に鎮座していたものが、最終的に高良神社の境内地に遷座してきたのではないかということが伺える。
 現地を訪れても高良神社どころか得寿森神社という神社名すら出ていない。隣接する地に護国山金龍禅寺が建っていたので、庭の掃除をしていた人に境内社のことを質問してみた。八幡神社のことは知っていたが、境内社のことまではご存じなかった。ここでもまた「消えた高良神社」現象が起きていたのである。

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 大学時代に『「邪馬台国」はなかった』(古田武彦著)を読んで、夜寝られなくなりました。古代史に関心を持つようになったきっかけです。
 算数・数学・理科・社会・国語・英語など、オールラウンドの指導経験あり。郷土史やルーツ探しなど研究を続けながら、信頼できる歴史像を探究しているところです。
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