もう一つの歴史教科書問題
多元史観による真実の日本古代史を求めてーー現在進行形の謎解き歴史ノンフィクション! 地方史が変わる。日本史がくつがえる。
2024.03
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
2024.05
カレンダー
03
2024/04
05
S
M
T
W
T
F
S
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
リンク
管理画面
新しい記事を書く
新古代学の扉
黒澤正延の古代史探究
ひぼろぎ逍遥
sanmaoの暦歴徒然草
古田史学とMe
カテゴリー
高良神社の謎 ( 94 )
キリスト者の神社参拝 ( 64 )
九州年号見つけた! ( 29 )
古代南海道を探せ ( 28 )
地名研究会 ( 31 )
おもしろ授業 ( 27 )
ゴミ屋さんから仏教伝来 ( 23 )
魏志倭人伝 ( 25 )
教科書 ( 22 )
たちばなしも何ですから ( 20 )
侏儒国の歴史 ( 11 )
日本神話と聖書の秘密 ( 7 )
ONライン ( 13 )
未選択 ( 7 )
フリーエリア
『探訪―土左の歴史』
第19号 (仁淀川歴史会、2023年6月)
高知県の郷土史について、教科書にはない史実に基づく地元の歴史・地理などを少しでも知ってもらいたいとの思いからメンバーが研究した内容を発表しています。
最新CM
古田武彦の思い出話を書きました
[04/18 菅野 拓]
熊野系
[11/01 霜]
無題
[08/15 上城 誠]
無題
[08/11 上城 誠]
無題
[08/09 上城 誠]
最新記事
魏志倭人伝の21か国は高知県に存在したか(下)
(01/20)
魏志倭人伝の21か国は高知県に存在したか(中)
(01/01)
魏志倭人伝の21か国は高知県に存在したか(上)
(12/26)
17最後の秋「期待は捨てや凜さん」――志望(脂肪)校合格編
(09/30)
香川県の高良神社⑧後編ーー浪打八幡宮境内社に合祀
(09/18)
最新TB
プロフィール
HN:
朱儒国民
性別:
非公開
職業:
塾講師
趣味:
将棋、囲碁
自己紹介:
大学時代に『「邪馬台国」はなかった』(古田武彦著)を読んで、夜寝られなくなりました。古代史に関心を持つようになったきっかけです。
算数・数学・理科・社会・国語・英語など、オールラウンドの指導経験あり。郷土史やルーツ探しなど研究を続けながら、信頼できる歴史像を探究しているところです。
バーコード
RSS
RSS 0.91
RSS 1.0
RSS 2.0
ブログ内検索
アーカイブ
2024 年 01 月 ( 2 )
2023 年 12 月 ( 1 )
2023 年 09 月 ( 3 )
2023 年 08 月 ( 2 )
2023 年 06 月 ( 3 )
最古記事
薯童謡(ソドンヨ)に登場した黒歯国
(10/21)
侏儒国の縄文灯台
(10/26)
大和朝廷の関東支配
(11/16)
俾弥呼(ひみか)発見!
(11/18)
韓国内陸行一月
(11/24)
P R
忍者アナライズ
徳島県の高良神社⑤ーー三好市山城町尾又
三好市役所山城町支所で聞くと、所長が『山城谷村史』(山城町史編集委員会、昭和34年)を出してこられた。村内の神社一覧表には、数えると高良神社が5社も書かれている。この事実には正直驚かされたし、所長自身も「こんなにあるとは知らなかった」とのこと。
徳島県は高良神社が他社に境内社として合祀されずによく残されている。明治39年に出された神社合祀令が、県知事の裁量に任されていた部分もあって、愛媛県ではかなり忠実に実施されたが、徳島県ではそれほどでもなかったのだろうか。
それにしては高良神社の数が少なすぎる。疑問を持っていたところに、この新発見。相川名・末貞名・尾又名・瀬貝名・佐連名(〜名は古い行政単位のようなもの)に各一社ずつ。まるで「一名一高良」といった様相を示している。
1956年(昭和31年)9月30日 、山城谷村が三名村を合併のうえ町制施行・改称して山城町となっている。気を良くして『三名村史』を見ると高良神社は全く出てこない。山城町に縁のある神社なのだ。実はこの「山城」という地名自体がありふれているようだが、由来の分からない謎の地名とされている。
さて、山城町で5社目となる山城町尾又東の高良神社(祭神・彦火々出見命)探しに向かった。高良神社の祭神として「彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)」が祀られているのは不思議である。瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)・木花開耶姫(このはなさくやひめ)の子であり、あるいは何か高良神社の謎を解く鍵が隠されているのだろうか。
白川谷川をさかのぼり、白川地区(白川神社あり)の個人商店で話を聞く。尾又は山を登って行かなければならず、1か月前の豪雨による土砂崩れで、随所に岩がごろごろしているという。38年前には1メートルほど水に浸かる被害もあったとのこと。途中、工事のダンプカーと何度もすれ違った。
尾又地区までやって来た。グーグルマップ上で単に「神社」と出ている所が、たぶん高良神社だと思うが、近くまで来たものの登る道が見当たらない。前の民家も転出したのだろうか、人の気配がない。神社自体も既になくなってしまった可能性すらある。神社があったと思われる場所は木々に覆われてよく分からなかった。
もしかしたら近くの八幡神社に合祀されていないだろうか。そちらも行ってみたが、周囲が土砂崩れで復旧作業に時間がかかりそう。八幡神社も柵が設けられ、立入禁止だった。
ふもとに下りるとバス停の辺りに民家の地図が出ている。転出した家も多く、「〜跡地」と書かれている。5つ目の高良神社を実見することはかなわなかったが、今回の調査で思ったことは、伝統ある神社の維持・管理がますます難しくなってきているということだ。それとともに今まで地域の氏子の方々や神職および関係する人々がご苦労してこられた足跡に、自然と感謝の気持ちが湧いてきた。
[2回]
PR
【2018/08/13 10:01 】
|
高良神社の謎
|
有り難いご意見(0)
<<
四国の高良神社を概観すると……
|
ホーム
|
徳島県の高良神社④ーー三好市山城町瀬貝西
>>
有り難いご意見
貴重なご意見の投稿
NAME:
MAIL:
URL:
COLOR:
Black
LimeGreen
SeaGreen
Teal
FireBrick
Tomato
IndianRed
BurlyWood
SlateGray
DarkSlateBlue
LightPink
DeepPink
DarkOrange
Gold
DimGray
Silver
SUBJECT:
COMMENT:
PASS:
<<
前ページ
|
ホーム
|
次ページ
>>
忍者ブログ
[PR]
Powered by
NINJA TOOLS