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瓦権現→川原社→高良神社? 高良玉垂命と神功皇后との結婚

 奈良県櫟本町瓦釜にある高良神社が、秋祭りで「まぐわい神事」を行っていることを最近知った。高良神社の男神が、八幡神社の女神のもとへ、出会い(結婚?)に行くというものである。
 一元史観のお膝元であるから面向きは武内宿祢に比定されたりもされるが、そのまま受け取ると、高良玉垂命と神功皇后の結婚ということになるのではないか?  高知県四万十市の不破八幡宮で行われている結婚神事と通じるものを感じる。ホームページで紹介して下さったことに感謝したい。
 また、地名の瓦釜。高知県でもかつては高良神社を瓦権現と表記しているものもあり、地域によっては川原社と呼ばれたこともあるようだ。高良神社の遠源をたどると瓦との関わりがあるのかも知れない。
 そもそも百済から瓦博士まで呼んで寺院建造が盛んになった時代、瓦というものは最先端技術であり、貴重視されたであろう。「磨かざりせば光ある玉も瓦に等しからまし」とは祖母から伝え聞いたことわざである。

  以下、天理市立櫟本小学校のホームページより引用した。

秋祭り「こうら神社」男神と「八幡神社」女神の逢瀬


 10月15日 高良神社の秋祭り

 午後1時 祭りの開始。この祭りはとてもかわっていて、高良神社の男神が、八幡神社の女神のもとへ、出会い(まぐわい)に行かれるというものだす。


 おもしろそうですね。


 櫟本町の六惣である瓦釜(かわらがま)、高品(たかしな)、四之坪(しのつぼ)、市場(いちば)、南小路(みなみしょうじ)、膳史(かし)の各大字の宮総代の方達が奉仕されています。


高良神社    


 櫟本町瓦釜(かわらがま)地区に鎮座(ちんざ)する「高良神社は古い歴史のある神社です。


 ご祭神(さいじん)は、高良玉垂神(こうらたまたれのかみ)で、この神さまは、古事記・日本書紀にみえる「武内宿禰(たけのうちのすくね)」(伝説では360歳という長寿をほこる怪物的な存在) のことだそうです。蘇我氏の祖先ともされています。


 武内宿禰は、延命長寿の神さまとして、また不思議な霊能力を発揮する武運長久(ぶうんちょうきゅう)、厄除けの神さまともされています。戦争中は戦勝祈願の神様として、現在では、試験の合格祈願などと、信仰を集めています。戦前には、一円札の肖像にもなっていて、庶民に身近な存在だったようです。(現在の聖徳太子のような存在でしょうか。)


 ここは、奈良時代前期に建立された「長寺」の跡で、付近からは古瓦片が発見されていて、「瓦釜」の地名はここからついたようです。


 (コウラ神社は、土着の、カワラ社が変化してコウラ社となったという説があります。)


 


 また「長寺跡」からは、建物の遺構や弥生時 代の遺物も出土していることから、このあたりは古代より集落がひらけ、古代豪族、和爾(ワニ)氏とのかかわりなど考えると、興味のつきない神社です。


 今は彼岸花(ひがんばな)が見ごろ。


 古代へタイムスリップさせてくれる高良神社です。  


                      (「あいたいがっこう14号」より)

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【2018/06/01 00:19 】 | 高良神社の謎 | 有り難いご意見(0)
朝日輝き、夕日さす……
  『南路志』の高岡郡四万川村に朝日権現(タケウチ)、夕日権現(コウヤ)が並んで登場する。埋蔵金伝説を連想される方も多いだろう。
  『古瓦』(住田正一・内藤政恒著、昭和43年)によると「『朝日輝き夕日さす』という思想は、残された伝説の分布から考えてみると、奈良朝以前、建国の当初から、日本全国に行われていたものではなかろうか」という。多元史観の目で見れば、九州王朝・倭の五王時代にさかのぼれるのではないか。
  一説には倭の五王と関係があるとされる高良玉垂宮。神の系譜と縁起を書いた『高良玉垂宮神秘書』 という本の中に、高良大菩薩(高良玉垂命)には合わせて九人の御子がいて、九躰の皇子と言う、と出ている。久留米市の高良大社の右手にある摂社に、その名前が記されている。

1 斯礼賀志命(しれかし)
2 朝日豊盛命(あさひとよもり)
3 暮日豊盛命(ゆうひとよもり)
4 渕志命(ふちし)
5 谿上命(たにがみ)
6 那男美命(なをみ)
7 坂本命(さかもと)
8 安志奇命(あしき)
9 安楽應寳秘命(あらをほひ)

御祭神 高良玉垂命の御子神九柱(九躰王子)
由緒 阿志岐(山川町鎮座の王子宮(高良御子神社)を明治六年に勧請) 

  なんと「朝日(あさひ)豊盛命」「暮日(ゆうひ)豊盛命」のペアが登場するではないか。高知県といえば坂本龍馬が有名だが、もともと坂本姓は多く、坂本地名、そして坂本神社もある。「坂本(さかもと)命 」まで入れると3点セットが揃うことになる。何か九躰王子との繋がりがあるのだろうか?
  参拝者の中には、御神徳として「無敵の勝利」と書かれているところに、ご利益を感じた人もおられた。

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【2018/05/29 10:40 】 | 高良神社の謎 | 有り難いご意見(0)
滋賀県の高良神社②ーー長浜八幡宮 境内社
    長浜といえば、高知市にも長浜がある。高知市長浜は長宗我部元親像が立つ若宮八幡宮で有名であるが、滋賀県長浜市は豊臣秀吉とつながりのある長浜八幡宮で知られている。
    その境内右手奥に高良神社が鎮座する。考えればこの位置、鬼門の方角ではないか。数多くの境内社がある中で最も重要な場所に高良神社を配しているようだ。


    ご利益があるという「ボケ封じの石」も高良神社のすぐ横にある。また、赤ちゃんのお食い初めに使った歯固めの石を奉納するところにもなっている。不思議だなあと思っていたら、高良神社が「ボケ封じの宮」とされていた。
 ホームページに「当宮長浜八幡宮境内にある高良神社(こうらじんじゃ)の御祭神 武内宿禰(たけうちのすくね)は景行、成務、仲哀、応神、仁徳と五代の天皇を仕えた方で有り、古来より長寿の神様として多くの方々の参拝で賑わっておりますが、長寿、すなわち永きに亘り健康でボケる事無く活躍された故事により現代人の願いボケ封じとして多くの方々のお詣りをお待ちいたしております。」と紹介されている。
    ボケたわけではないだろうが「天皇に仕えた方」と書くつもりが「天皇を仕え(させ)た方」と思わず本音が漏れそうになった。この時代の天皇は国家のナンバー1ではなく、まだ臣下の立場であった。臣下だけ祀られて、本来の主人は祀られていないのだろうか?
    ちなみに、ここの高良神社例祭は9月15日となっており、四万十市蕨岡の高良神社と同じ日になっている。

 
以下、長浜八幡宮のホームページより

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[東御前] 足仲彦尊(タラシナカツヒコノミコト)仲哀天皇


厄除開運


[中御前] 誉田別尊(ホンダワケノミコト)応神天皇


厄除開運・健康長寿の神


[西御前] 息長足姫尊(オキナガタラシヒメノミコト)神功皇后


安産守護の神

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当宮は延久元年(西暦1069年)、源義家公が後三条天皇の勅願を受け、京都の石清水八幡宮


より御分霊を迎えて鎮座されました。それよりこの地は八幡の庄と称えられ庄内十一郷の産土


(うぶすな)の神として深く崇敬される事となりました。当時その社頭は三千石、一山七十三坊と


伝えられ、本宮の石清水八幡宮を凌ぐくらいであったといわれます。しかし、その後、しばしば


兵火にみまわれ、その社殿はほとんど消失されました。時は流れ、天正二年(西暦1574年)


羽柴秀吉公が長浜城主となるや、その大社の荒廃を惜しみ、社殿の修理造営をなし再興に


努めました。この史実は、長浜曳山祭の起源とも言われています。

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【2018/05/12 12:07 】 | 高良神社の謎 | 有り難いご意見(0)
滋賀県の高良神社①ーー彦根市の高良塚
    滋賀県彦根市に古くは高良塚と呼ばれていた場所がある。『坂田郡志』によると墳丘もあって古墳であったように思われる。残念ながら現在は平坦地となっており、周囲は畑に囲まれて、古墳の面影はない。
    高知県の高良神社を調べていると、どういうわけか謎を解く鍵が滋賀県につながってくる。栗東市綣(へそ)の大宝神社、彦根市の高良塚……。天智天皇の近江朝と関係があるのかも知れない。なぜなら、高知県には天智天皇に関する伝承が実に多く残されているからだ。
    謎を解く鍵を追って、はるばる滋賀県にやって来た。予定では5月4日のうちに来たかったのだが、大武(婦)天皇宮、石清水八幡宮、大宝神社などを調査していて夜遅くなり、5月5日(土)の朝になってしまった。由緒を知ってなるほどと思った。
「祭日は五月五日なり」ーーこの日にお参りして欲しかったのだろう。



高良神社 (コウラ)
滋賀県彦根市鳥居本町2462
祭神 武内宿禰命

御由緒
天保三年四月の創立という。『坂田郡志』に「此の地、古へより高良塚と称して一丘の高地なりしが、天保三年四月、この高地を穿ちしに、古鏡二面を発掘せり。依って祠を建て武内宿禰を祭神とす。祭日は五月五日なり。」と記している。

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【2018/05/12 11:11 】 | 高良神社の謎 | 有り難いご意見(0)
高良玉垂命と武内宿禰命は別神ーー初公開、石清水八幡宮の七社御影
   「仁和寺にある法師、年寄るまで石清水を拝まざりければ心うく覚えて、ある時思い立ちてただひとり……」やって来ました石清水八幡宮。「極楽寺、高良を拝みて山までは見ず」のつもりであったが、カーナビに出ないので仕方なく石清水八幡宮を目的地設定した。するとダイレクトに男山の山頂に導かれた。
    それにしても壮大である。あまりの見事さに一瞬心奪われ、危うく「石清水を拝みて麓(高良神社)までは見ず」というオチになるところだった。麓に下りて頓宮横の高良神社を確認したら、山の上が気になった。初公開の文化財が展示されるというのである。「ゆかしかりしかど」高良神社を調べることが「本意なれ」と思って立ち去ろうと思った。明日の朝には岐阜県に行っていないといけない。
    しかし、私が訪ねた5月4日(金)。なぜかこの日が初公開ーー七社御影(八幡垂迹神曼荼羅図)が私を呼んでいたようである。日も暮れて薄暗くなった長い石段を急いで登った。
    本殿拝観料1000円を払うのは商業主義に屈するようで、やや不本意であったが何事も百聞は一見に如かずとも言う。本殿左横に武内宿禰命(武内社)が祀られていたことにまず驚いた。高良玉垂命と武内宿禰命は異なるとの思いを強くした。
    説明によると石清水八幡宮では姫大神=宗像三女神、こちらは同一と見ているようである。高良神社との関係を質問すると、詳しいことは分からないとのこと。古くから八幡市の産土(うぶすな)として地元の人から守られてきたらしい。

    そして、高良玉垂命と武内宿禰命は別神であるという考えは持っておられるようであった。それを証明するかのような絵が1枚、この日初公開となっていた。「七社御影(八幡垂迹神曼荼羅図)」である。
    写真撮影禁止のためお見せできないのが残念であるが、そこには七体の神様が描かれている。中央最上段に八幡大神、右列の上から神功皇后、若宮、武内宿禰。左列の上から姫大神、若宮殿、高良明神。(『神仏分離史料』による)
    これを見ても明らかに高良玉垂命と武内宿禰命は別神である。見えざる導きによってこの結論にたどり着いた。やはり「すこしのことにも、先達はあらまほしき事なり」である。

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【2018/05/11 10:57 】 | 高良神社の謎 | 有り難いご意見(0)
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