滋賀県神社庁のホームページから「高良」で検索すると、次の4社がヒットする。
〔大津〕 宇佐八幡神社
〒5200027 大津市錦織
應神天皇
〔祭礼日〕 9月 15日
〔彦根〕 高良神社〒5220004 彦根市鳥居本町武内宿禰命〔祭礼日〕 4月 5日〔犬上〕 甲良神社〒5220242 犬上郡甲良町尼子竹内宿禰命〔長浜〕 長濱八幡宮〒5260053 長浜市宮前町誉田別尊(応神天皇) 足仲彦尊(仲哀天皇) 息長足姫尊(神功皇后)〔祭礼日〕 4月 15日 / 10月 15日
高良神社の謎<滋賀県編> |
滋賀県の高良神社①――彦根市の高良塚 |
滋賀県の高良神社②――長濱八幡宮 境内社 |
滋賀県の高良神社③――甲良神社は九州系 |
滋賀県の高良神社④――宇佐八幡宮境内社・高良社 |
既に当ブログで紹介した4社である。滋賀県の高良神社を最初に紹介したのは、2年前の2018年5月であった。その後の調査をベースにとしながら、上表のように、滋賀県に密集する高良神社を公表しはじめたところ、研究協力の呼びかけたに呼応するように、関連するような情報が飛び込んできた。
その一つが、滋賀県で日本最古級の絵画が発見されたというニュースである。
古田史学の会・代表の古賀達也氏によると、近江大津宮から離れた湖東に九州年号および聖徳太子伝承が多いという。これは高良神社の分布にも対応している。飛鳥時代の絵画が発見された甲良町西明寺も同町甲良神社の南方に位置する。1300年以上前の絵画を「発見」、日本最古級か
黒くすすけた柱から赤外線撮影で確認 滋賀・甲良の寺
湖東三山の一つ、西明寺(滋賀県甲良町池寺)の本堂内陣の柱絵を調査・分析していた広島大大学院の安嶋(あじま)紀昭教授(美術学史)は9日、絵は飛鳥時代(592―710)に描かれた菩薩(ぼさつ)立像で、描式から日本最古級の絵画とみられると発表した。834年とされる同寺の創建前で、創建時期が大きくさかのぼる可能性があるとも指摘した。(京都新聞社 2020/08/10)
また、ブログ『sanmaoの暦歴徒然草』の次の記事が示唆に富んでいる。
- 「三関」はどこを守ったのか―「近江大津宮」を守る関― 2020年8月13日 (木)
上図を示しつつ、「三関」について次のように結論づけている。
実は滋賀県には、まだ他にも高良神社が存在する。近江最古の大社と呼ばれる白鬚神社(滋賀県高島市鵜川215)の境内社・八幡三所社に祀られる高良神社(祭神:玉垂命)である。高島市の白鬚神社は全国に多い白髭神社の本社とされ、琵琶湖の湖西に立つ大鳥居は観光スポットにもなっている。
「鈴鹿關(すずかのせき)」・「不破關(ふはのせき)」・「愛發關(あらちのせき)」が守っているのは近江大津宮の近江京であり、この「三関」を設置したのは、天武・持統朝ではなく、九州王朝(近江遷都)乃至近江朝であったということになります。
確かに、壬申の乱(672年)で大海人皇子を支援した美濃国や伊勢国などを仮想敵国と想定しているかのようである。
実は滋賀県には、まだ他にも高良神社が存在する。近江最古の大社と呼ばれる白鬚神社(滋賀県高島市鵜川215)の境内社・八幡三所社に祀られる高良神社(祭神:玉垂命)である。高島市の白鬚神社は全国に多い白髭神社の本社とされ、琵琶湖の湖西に立つ大鳥居は観光スポットにもなっている。
神社の略記では、祭祀は古代から始まり、垂仁天皇二十五年皇女倭姫命が社殿を再建、天武天皇白鳳二年(674)比良明神の号を賜ったとある。祭神は猿田彦大神であり、境内には次に列記するように、11の摂社が鎮座する。
若宮神社「太田命」、天照皇大神宮「天照大神」、豊受大神宮「豊受姫神」、八幡神社「應神天皇」、高良神社「玉垂命」、加茂神社「建角身命」、天満神社「菅原道眞」、岩戸社「祭神不詳」、波除稲荷社「祭神不詳」、寿老神社「壽老神」、鳴子弁財天社「鳴子弁財天」
このうち、八幡神社、高良神社、加茂神社は3社相殿の八幡三所社として合祀され、社殿は慶長期の造営で、高島市指定有形文化財にもなっている。
八幡神社と高良神社の関係の深さはこれまで見てきた通りであるが、加茂神社とのつながりをどう見るべきか。思い出されるのは、徳島県三好市山城町瀬貝西の高良神社(祭神・武津見命)である。建角身命を祭神とする加茂神社とも何がしかの縁があるのだろう。
ところで、九州から畿内への移動ルートといえば、ふつう瀬戸内海航路をイメージする人が多いかも知れない。しかし、近江地方へは日本海ルートで若狭湾辺りから上陸するコースも考えられる。
八幡神社と高良神社の関係の深さはこれまで見てきた通りであるが、加茂神社とのつながりをどう見るべきか。思い出されるのは、徳島県三好市山城町瀬貝西の高良神社(祭神・武津見命)である。建角身命を祭神とする加茂神社とも何がしかの縁があるのだろう。
ところで、九州から畿内への移動ルートといえば、ふつう瀬戸内海航路をイメージする人が多いかも知れない。しかし、近江地方へは日本海ルートで若狭湾辺りから上陸するコースも考えられる。
第11代垂仁天皇をいつの時代に比定するかは難しいものの、一般的には弥生時代頃とされる。それほど古代にさかのぼる歴史があるのか疑問に思う人がいるかも知れないが、琵琶湖周辺の遺跡(近江八幡市の元水茎遺跡、彦根市の松原内湖遺跡、長浜市湖北町の尾上浜遺跡、高田遺跡など)からは縄文時代の丸木舟がたくさん出土している。
このことは近江朝廷よりも遥かに先行する歴史があったことを示唆するものだ。弥生・古墳・飛鳥時代――九州王朝の勢力がこの地方に進出したのはいつ頃だったのか。琵琶湖周辺の高良神社の分布は、それを推定する材料の一つになるかもしれない。
このことは近江朝廷よりも遥かに先行する歴史があったことを示唆するものだ。弥生・古墳・飛鳥時代――九州王朝の勢力がこの地方に進出したのはいつ頃だったのか。琵琶湖周辺の高良神社の分布は、それを推定する材料の一つになるかもしれない。
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岐阜県垂井町の勝神社
いつも興味深く読ませていただいております。
さて、岐阜県で高良玉垂命を祀る神社は朝浦八幡宮のみとされているようですが、実はもう一社勝神社という神社があります。岐阜県神社庁のサイトでも確認できますが、新修垂井町史通史編に次のような記載がありますのでご紹介します。
従四位下勝氏明神
垂井町表佐字四番屋敷一七二九番地鎮座
(旧村社) 勝神社
祭神 勝氏明神
(相殿)受鬘命・筑後玉垂命・諏訪住吉
さらにこの神社の本殿の北側には前方後円墳がありますが、この古墳の説明板には次のような記載があります。
垂井町指定史跡
勝宮古墳
昭和三十五年一月二十六日指定
この古墳は、全長三〇メートルの前方後円墳で、勝神社本殿の北に接しており、東側を流れる相川の氾濫のため周囲の地形が著しく改変されていて、現在は後円部と思われる部分のみ残っている。かつて、古墳の周囲の地中三~五メートル付近から、粘土に混じって須恵器や土師器の破片が出土したと伝えられている。勝神社の祭神、筑後玉垂命(武内宿禰)の墓として信仰されている。
平成二十九年五月
垂井町教育委員会
筑後玉垂命という名前は初めて目にしますし、高良玉垂命の墓というのも極めて珍しいと思われます。
この垂井町には、美濃国府跡、宮処寺跡などの史跡があり、隣の関ヶ原町には不破関がある(勝神社の西約4㎞)という重要な位置にこの神社と古墳はあるようです。
垂井町教育委員会によれば、この古墳は六世紀後半から七世紀初めに造られたとされていますので、不破関より以前の時期のものになると思われます。
以上実地調査ではなく、主にネットからの情報ですが、参考までに。
さて、岐阜県で高良玉垂命を祀る神社は朝浦八幡宮のみとされているようですが、実はもう一社勝神社という神社があります。岐阜県神社庁のサイトでも確認できますが、新修垂井町史通史編に次のような記載がありますのでご紹介します。
従四位下勝氏明神
垂井町表佐字四番屋敷一七二九番地鎮座
(旧村社) 勝神社
祭神 勝氏明神
(相殿)受鬘命・筑後玉垂命・諏訪住吉
さらにこの神社の本殿の北側には前方後円墳がありますが、この古墳の説明板には次のような記載があります。
垂井町指定史跡
勝宮古墳
昭和三十五年一月二十六日指定
この古墳は、全長三〇メートルの前方後円墳で、勝神社本殿の北に接しており、東側を流れる相川の氾濫のため周囲の地形が著しく改変されていて、現在は後円部と思われる部分のみ残っている。かつて、古墳の周囲の地中三~五メートル付近から、粘土に混じって須恵器や土師器の破片が出土したと伝えられている。勝神社の祭神、筑後玉垂命(武内宿禰)の墓として信仰されている。
平成二十九年五月
垂井町教育委員会
筑後玉垂命という名前は初めて目にしますし、高良玉垂命の墓というのも極めて珍しいと思われます。
この垂井町には、美濃国府跡、宮処寺跡などの史跡があり、隣の関ヶ原町には不破関がある(勝神社の西約4㎞)という重要な位置にこの神社と古墳はあるようです。
垂井町教育委員会によれば、この古墳は六世紀後半から七世紀初めに造られたとされていますので、不破関より以前の時期のものになると思われます。
以上実地調査ではなく、主にネットからの情報ですが、参考までに。
Re:岐阜県垂井町の勝神社
貴重な情報をありがとうございます。
勝神社に筑後玉垂命が祀られているということは知りませんでした。勝宮古墳のことも含めて、よく調べてみる必要がありそうです。以前から、高良神社と横穴式石室古墳の分布は関連がありそうだとの指摘もあります。
その上で美濃国の位置づけを考え直す必要があるかもしれません。岐阜県には武内宿禰を祀る神社はいくつかあるようですので、これが高良玉垂命の置き換えである可能性もあります。福岡県(筑前地方)の武内宿禰の祀られ方と似ているようにも感じます。
やはり一人の調査では漏れも多いものです。御指摘に感謝します。犬塚さんとは情報交換したいと願っていました。今後ともよろしくお願いします。
勝神社に筑後玉垂命が祀られているということは知りませんでした。勝宮古墳のことも含めて、よく調べてみる必要がありそうです。以前から、高良神社と横穴式石室古墳の分布は関連がありそうだとの指摘もあります。
その上で美濃国の位置づけを考え直す必要があるかもしれません。岐阜県には武内宿禰を祀る神社はいくつかあるようですので、これが高良玉垂命の置き換えである可能性もあります。福岡県(筑前地方)の武内宿禰の祀られ方と似ているようにも感じます。
やはり一人の調査では漏れも多いものです。御指摘に感謝します。犬塚さんとは情報交換したいと願っていました。今後ともよろしくお願いします。
無題
先日の岐阜県の勝神社についての投稿は岐阜県の神社ページに出すべきだったかと思います。申し訳ありません。
今回は、滋賀県の高良玉垂命を祀る神社についてお知らせしたいと思います。(既にご存じであればご容赦ください。)
鞭崎八幡宮(鞭嵜神社)
滋賀県草津市矢橋町1463
境内の「鞭崎八幡宮由緒記」によれば祭神と創建は以下のとおり。
祭神
聖母大神
住吉大神
高良大神
應神天皇
創建
白鳳四年(676)人皇四十代天武天皇の命により創建し四町四方を社地とし矢橋八幡宮神主紀是尚をして宝祚延長を祈願せしめた。
祭神について鞭嵜八幡宮サイト(今は休止状態)では
應神天皇
聖母大神
高良大神
住吉大神
菅原道真公
とされています。また高良大神についての註釈では
高良大神(こうらおおかみ)
高良玉垂命(こうらたまだれのみこと)といわれ、八幡大神の産土神(うぶすなのかみ、 生まれた土地を守護する神)。聖母大神の妹君にあたる。
この祭神については、明治45年に発行された「府県郷社明治神社誌料」には次のようにな記載があります。
郷社 鞭崎神社
祭神 息長足姫命 誉田別尊
武内宿禰 中筒男之命
以前は「武内宿禰」であった祭神が現在「高良大神」とされていますが、元々「武内宿禰」であったものが近代になって突然「高良大神」となることは考えられませんので、おそらく創建時(白鳳という九州年号の時期)は「高良大神」であったのでしょう。それがいつの時代にか「武内宿禰」に変わり、再度元の「高良大神」に戻されたと考えるのが妥当だと思われます。
この高良大神が聖母大神(神功皇后)の妹であること、つまり應神天皇(八幡神)の叔母に当たるということは、このサイトの甲浦八幡宮境外摂社高良神社でも紹介されていましたが、滋賀に祀られた高良玉垂命も同じ女性神であるというのもなかなか興味深いものがあります。
この神社は滋賀県神社庁のサイトに出てきませんが、おそらく滋賀県神社庁に加盟されていないためかと思われます。
以上 今回も実地調査ではなくネット情報が主ですが、参考までに。
今回は、滋賀県の高良玉垂命を祀る神社についてお知らせしたいと思います。(既にご存じであればご容赦ください。)
鞭崎八幡宮(鞭嵜神社)
滋賀県草津市矢橋町1463
境内の「鞭崎八幡宮由緒記」によれば祭神と創建は以下のとおり。
祭神
聖母大神
住吉大神
高良大神
應神天皇
創建
白鳳四年(676)人皇四十代天武天皇の命により創建し四町四方を社地とし矢橋八幡宮神主紀是尚をして宝祚延長を祈願せしめた。
祭神について鞭嵜八幡宮サイト(今は休止状態)では
應神天皇
聖母大神
高良大神
住吉大神
菅原道真公
とされています。また高良大神についての註釈では
高良大神(こうらおおかみ)
高良玉垂命(こうらたまだれのみこと)といわれ、八幡大神の産土神(うぶすなのかみ、 生まれた土地を守護する神)。聖母大神の妹君にあたる。
この祭神については、明治45年に発行された「府県郷社明治神社誌料」には次のようにな記載があります。
郷社 鞭崎神社
祭神 息長足姫命 誉田別尊
武内宿禰 中筒男之命
以前は「武内宿禰」であった祭神が現在「高良大神」とされていますが、元々「武内宿禰」であったものが近代になって突然「高良大神」となることは考えられませんので、おそらく創建時(白鳳という九州年号の時期)は「高良大神」であったのでしょう。それがいつの時代にか「武内宿禰」に変わり、再度元の「高良大神」に戻されたと考えるのが妥当だと思われます。
この高良大神が聖母大神(神功皇后)の妹であること、つまり應神天皇(八幡神)の叔母に当たるということは、このサイトの甲浦八幡宮境外摂社高良神社でも紹介されていましたが、滋賀に祀られた高良玉垂命も同じ女性神であるというのもなかなか興味深いものがあります。
この神社は滋賀県神社庁のサイトに出てきませんが、おそらく滋賀県神社庁に加盟されていないためかと思われます。
以上 今回も実地調査ではなくネット情報が主ですが、参考までに。
Re:無題
有益な情報をありがとうございます。
やはり滋賀県には高良神社が多く、歴史も古いことが伺えます。
> 境内の「鞭崎八幡宮由緒記」によれば祭神と創建は以下のとおり。
>
>祭神
> 聖母大神
> 住吉大神
> 高良大神
> 應神天皇
>
>創建
> 白鳳四年(676)人皇四十代天武天皇の命により創建し四町四方を社地とし矢橋八幡宮神主紀是尚をして宝祚延長を祈願せしめた。
「天武天皇の命により創建」とあることから、古賀さんが言うように天武天皇を支援した勢力と見るべきか、それとも近江朝とのつながりを考えるべきか、あるいはそれ以前の九州王朝の進出の反映と見るべきか。今後の検討課題です。
> 高良大神(こうらおおかみ)
> 高良玉垂命(こうらたまだれのみこと)といわれ、八幡大神の産土神(うぶすなのかみ、 生まれた土地を守護する神)。聖母大神の妹君にあたる。
>
> 以前は「武内宿禰」であった祭神が現在「高良大神」とされていますが、元々「武内宿禰」であったものが近代になって突然「高良大神」となることは考えられませんので、おそらく創建時(白鳳という九州年号の時期)は「高良大神」であったのでしょう。それがいつの時代にか「武内宿禰」に変わり、再度元の「高良大神」に戻されたと考えるのが妥当だと思われます。
ごもっともです。
> この高良大神が聖母大神(神功皇后)の妹であること、つまり應神天皇(八幡神)の叔母に当たるということは、このサイトの甲浦八幡宮境外摂社高良神社でも紹介されていましたが、滋賀に祀られた高良玉垂命も同じ女性神であるというのもなかなか興味深いものがあります。
よく読んでいただいて感謝です。本当に興味深いですね。
やはり滋賀県には高良神社が多く、歴史も古いことが伺えます。
> 境内の「鞭崎八幡宮由緒記」によれば祭神と創建は以下のとおり。
>
>祭神
> 聖母大神
> 住吉大神
> 高良大神
> 應神天皇
>
>創建
> 白鳳四年(676)人皇四十代天武天皇の命により創建し四町四方を社地とし矢橋八幡宮神主紀是尚をして宝祚延長を祈願せしめた。
「天武天皇の命により創建」とあることから、古賀さんが言うように天武天皇を支援した勢力と見るべきか、それとも近江朝とのつながりを考えるべきか、あるいはそれ以前の九州王朝の進出の反映と見るべきか。今後の検討課題です。
> 高良大神(こうらおおかみ)
> 高良玉垂命(こうらたまだれのみこと)といわれ、八幡大神の産土神(うぶすなのかみ、 生まれた土地を守護する神)。聖母大神の妹君にあたる。
>
> 以前は「武内宿禰」であった祭神が現在「高良大神」とされていますが、元々「武内宿禰」であったものが近代になって突然「高良大神」となることは考えられませんので、おそらく創建時(白鳳という九州年号の時期)は「高良大神」であったのでしょう。それがいつの時代にか「武内宿禰」に変わり、再度元の「高良大神」に戻されたと考えるのが妥当だと思われます。
ごもっともです。
> この高良大神が聖母大神(神功皇后)の妹であること、つまり應神天皇(八幡神)の叔母に当たるということは、このサイトの甲浦八幡宮境外摂社高良神社でも紹介されていましたが、滋賀に祀られた高良玉垂命も同じ女性神であるというのもなかなか興味深いものがあります。
よく読んでいただいて感謝です。本当に興味深いですね。
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趣味:
将棋、囲碁
自己紹介:
大学時代に『「邪馬台国」はなかった』(古田武彦著)を読んで、夜寝られなくなりました。古代史に関心を持つようになったきっかけです。
算数・数学・理科・社会・国語・英語など、オールラウンドの指導経験あり。郷土史やルーツ探しなど研究を続けながら、信頼できる歴史像を探究しているところです。
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