高良神社の探求は高知県西部、四万十市蕨岡の高良神社から始まった。九州へ渡る際に宿毛フェリーをよく利用していたこともあって、高知県の西端は極めていたものの、東部へはなかなか足を運べずにいた。地図を見ても分かるように、高知県は東西に長いのである。 安芸郡東洋町の甲浦八幡宮境外摂社・高良神社には何かありそうだと感じていた。『高知県神社明細帳』(明治25年)には「高良神社・別名高良大明神・祭神高良玉垂之命・所在地甲浦河内字高良前」となっている。 一度拝みたいものだと、3年前(2018年)に思い立って、車で行くことにした。かつての野根山街道に近い国道493号線を通ってみることも目的の一つであったのだが、その日は台風の直後で道が寸断され、工事中で通行止めになっていた。急きょ、途中で引き返し、室戸岬回りのコースへ変更して、何とか日没前には東洋町甲浦に到着することができた。ほぼ高知県の東の端である。その地を踏んだ瞬間、「高知県を愛しなさい」と天の声が聞こえた気がした。最果ての地というわけではないが、何者かによって遣わされていた感覚であった。県の端から端まで、訪ねていきなさいということなのだろう。 “甲浦八幡宮境外摂社ーー高良神社(前編)”と“甲浦八幡宮境外摂社ーー高良神社(後編)”において紹介したように、「高良神社の神様は八幡の神様より格が上」との証言を聞けただけでも、足を運んだ価値があったと思わされた。半信半疑なところもあったが、甲浦八幡宮祭で行われる「三所台の儀式」がそれを物語っている。『東洋町の神社と祭り』(原田英祐著、2020年)からその一部を紹介しよう。
甲浦八幡宮祭の本祭に先駆けて、三所台の神事が行われる。これは神職が八幡宮の御神体を抱えて息がかからないように丁重に、50m程離れた御旅所である高良神社を訪問し、走って往復する。つまり八幡神が高良玉垂之命を訪ねていくのである。どちらが格上かはお分かりになるだろう。 似たところでは、奈良県櫟本町瓦釜にある高良神社の秋祭りで「まぐわい神事」を行っており、高良神社の男神が八幡神社の女神のもとへ、出会い(結婚?)に行くというものがある。立場は逆のようだが、東洋町甲浦の高良神社の祭神が八幡宮祭神・応神天皇の叔母(與止姫か)に相当する女性神とされていることを考えると、さもありなんというところだろうか。 かつて「甲浦=コウラ(高良)なんじゃないですか?」とある人から言われたことがあった。私も考えないわけではなかった。しかし、文献をいくら調べても「神(こう)の浦」「桜津」と呼ばれたことはあっても「こうら」と読ませる事例は皆無なのである。だが一点、『南路志』に「甲浦権現」と出てくるのがずっと気にはなっていた。 滋賀県犬上郡甲良町尼子1の甲良神社(“滋賀県の高良神社③――甲良神社は九州系”)が「高良」の置き換えとすることが妥当であることが分かり、その地域の中心として祀られる神様(甲良神社)の名が地名「甲良町」となる事例だと判明したのである。だとすれば「甲浦(高良)権現」から「甲浦」地名が生じた可能性もありそうに思える。他にも高知県の海岸には「甲殿(こうどの)」という地名もある。「甲殿」「甲浦」「甲良町」などの字が高良に通じるとすれば新たな視野が広がってくる。今後の研究課題である。 最後に安芸郡東洋町の甲浦八幡宮境外摂社・高良神社についての解説文を引用しておく。
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