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古代官道に関する古伝
   古代南海道について、いくつかのリアルすぎるとさえ感じる伝承がある。
   例えば、『仁淀村史』(仁淀村史編纂委員会、1969年)は、初代官道を「幡多回りの道」としながらも、別に「久万官道」を想定している。古伝として「斉明天皇七年(661)に天皇が伊予に上陸し、土佐に行幸、朝倉明神木丸殿に着」とあり「これ古の駅路也。外に道なし、伊予の場所より土佐の朝倉まで陸地相去ること30里、其間、山高く嶺重なり坂長く道険し」とあり、また、仁淀村沢渡の「三島神社」の鎮座から「古代伊予との交通の要路で、付近一帯は古代人の小集落であったことを立証するものである」と述べている。
   また、「伝えられるところによりますと、養老二年官道開設の許可によって、翌、養老三年(719)から道路開設工事が始まり、五年後の神亀元年(724)に完成した」と『土佐の道 その歴史を歩く』(山崎清憲著、1998年)で紹介されている。
   さらに山崎氏は他の著書で「久万官道(655年)開設」としており、その根拠となる出典については触れられていない。果たして伊予と土佐を結ぶ久万高原越えの古代官道が存在したのだろうか?


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【2018/03/24 01:53 】 | 古代南海道を探せ | 有り難いご意見(0)
古式官道想定図『土佐の道 その歴史を歩く』より
   近年、古代官道についての研究が進み、各地方ごとに「古代官道探し」への関心が高まってきている。3月下旬発売予定の『古代に真実を求めて第21集』(明石書店)でも古代官道特集を組んでいるとのこと。
   さて、古代南海道で最も謎に包まれているのが土佐国府への道である。まずは『土佐の道 その歴史を歩く』(山崎清憲著、1998年)から見てみよう。

   「公私の使いが土佐に行く場合、その道筋は伊予の国(愛媛県)を経ている。したがって、その行程は遠回りで遠く、それに山は高く、谷は深く険難である。ただし、阿波の国(徳島県)は、土佐の国と境しており、交通はいたって便利である。したがって阿波から直接土佐の国に入る通路を、官道に指定して欲しい」
   土佐の国司からの請願は許可され、新たに「養老官道」が718年に開設されることになった。
   では、それ以前には土佐と阿波をつなぐ官道はなかったのだろうか? なぜ、わざわざ伊予経由の遠回りで険しい道を経て来なければならなかったのか?
   これこそまさに九州王朝から畿内大和朝廷への政権交代を示す有力な状況証拠なのである。700年以前は九州王朝の首都と推定される太宰府を基点とした古代官道が整備された。
   それが702年、「始めて紀伊国賀陀駅家(和歌山県加太港)を置く」(『続日本紀』大宝二年)ところから畿内大和朝廷を基点とした南海道の再整備が始まる。

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【2018/03/22 11:53 】 | 古代南海道を探せ | 有り難いご意見(0)
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