ブログ『sanmaoの暦歴徒然草』に長野県上田市の吉村八洲男氏によるコラム"科野からの便り(9)「みさか」編"が掲載されている。注目すべきは、古代官道上に「御坂峠」などの「みさか」地名が数多く見られるという指摘である。
「科野の国」にも「御坂峠」は2つあるとのこと。一志茂樹(いっし しげき、1893―1985年)博士の先行研究によると「おそらく、『みさか』の称呼をもつ峠は、全国で30個処前後はあろうか」としている。 そのうちの博士は具体的な地名として、論考中で10カ所程を例示しており、吉村氏作成のリストと長野県の古東山道想定図を引用させていただく。その際の根拠や引用文献も列記してあり、今後の「古代官道」研究の参考となりそうだ。
「越國之鼠、昼夜相連、向東移去」「数年、鼠、向東行」という各文中にある「東」、つまり「東方へ向かう道」が、この道にあたるのではないかと博士は想像している。越國から「東」へ行く「古代道」が、これ以外には見当たらないからです。 さて、「古代官道」研究者にとっては、古代官道上に「みさか」地名が多く見られるという指摘は早くから知られていた。例えば、『平成14年度 國學院大學学術フロンティア構想「劣化画像の再生活用と資料化に関する基礎的研究」事業報告』の補論2「古代東山道と神坂」(宇野淳子)の中で、次のように言及されている。 ここでは「オオサカ」地名についても触れられている。百人一首でも有名な「これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関」〈蝉丸(10番)『後撰集』雑一・1089〉に代表される地名である。 他方、一志博士は「さらに『みさか』の麓の坂本神社の所在例(「延喜式」その他)を勘案したとき……」というように、「さかもと」名称にも注目すべきと指摘しているとのこと。 不思議なことに、長野県の事例から貴重な手掛かりを得ることになった。古代南海道における「みさか」「オオサカ」「坂本神社」ーーこれらは四国にも確かに存在しているーーが古代官道復元のキーワードになりそうである。 PR |
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ひろっぷ様のブログにコメントしているおちゃもです。
坂城は坂木とも書いたようですが、和名抄では坂城のようです。 城の字の成り立ちですが、斧が入っています。 そういえば、天から降るとき、斧を持たされた方がいましたね( ´艸`)
【2020/04/04 17:18】| | おちゃも #289327de64 [ 編集 ]
Re:無題
コメントありがとうございます。
雑記帳も見させていただいています。 地名の坂城とは関係ないかもしれませんが、熊本の実家では仏壇に榊(さかき)を挿していました。一般的に仏式ではシキビだという話を後から知り、不思議に思っています。 長野県とはご縁があるようで、以前多良木町から松本市へお嫁に行かれている方と知り合いました。 今後ともよろしくお願いします。 |
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