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『令集解』に見る一村一社
「古記云、春時祭田之日、謂国郡郷里毎村在社神。人夫集聚祭。若放祈年祭歟也。行郷飲酒礼、謂令其郷家設備也。一云毎村私置社官。名称社首。……」
  古記は大宝令の注釈書で738年(天平十)ごろの成立とされる。『令集解』所引古記が引用する一云によれば、村ごとに神社があり、社首(しゃのおびと)という祭祀者がいて、あたかも地方自治の一翼を担う行政機関のようである。大和朝廷の神祇令によると一般的には祝(はふり)であり、社首は他に見られない。もしかしたら九州王朝時代の制度が、のぞき見えているのかも知れない。
  この一村一社とも言うべき制度は、古代中国の社に遠源を持つのではないかとさえ思われる。『古代中国の社―土地神信仰成立史』(エドゥアール・シャヴァンヌ著、菊地章太訳注、2018年)を読むと、古代中国の社と日本の神社との類似性が見えてくる。

  周・漢の時代に家25軒で里とし、一社を置いている。日本の律令制ではその倍の五十戸を里(さと)としている。いわゆる産土(うぶすな)神とされる村社のルーツが、単に自然発生的なものではなく、行政的な色彩が少なくなかったように思われる。

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【2018/06/20 00:24 】 | キリスト者の神社参拝 | 有り難いご意見(0)
神社合祀令に反対した南方熊楠
  1906年(明治39年)に出された神社合祀令とは、一村一社を原則とし、その他の小社小祠ををこわし、他の神社へ併合させるという政策である。南方熊楠が神社合祀令反対の意見を『牟婁新報』に発表したのは1909年9月であった。
  柳田国男の協力もあって、1920年神社合祀無益の議決が貴族院を通過した。反対運動は結実を結んだと言えるが、そのために年月を要した。神社合祀令による神社整理は多くの都道府県で既に実施されていたのであった。
  1906~1911年末まで、全国でおよそ8万の村社が合併または廃止された。最も極端な破壊が行われたのは三重県で、数において6.8分の1に減じ、次いで和歌山県が4.7分の1に減少した。
  これらのことは『南方熊楠』(鶴見和子著、1981年)に詳しい。

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【2018/06/07 12:28 】 | キリスト者の神社参拝 | 有り難いご意見(0)
高知県西部(幡多地方)に集中する白皇神社
    高知県西部(幡多地方)には「白皇(しらおう)神社」が集中している。グーグルマップを見てもらえば、その異常なほどの密集ぶりに驚くだろう。何か原因があるはずである。もしかしたら神祇伯・白川伯王家との関連性があるのではという妄想から調査は始まった。



    高知県の主な白皇神社を次に挙げる。
  • 四万十市西土佐江川
  • 四万十市双海
  • 高岡郡四万十町八千数(はっせんずう)
  • 高岡郡四万十町宮内
  • 土佐清水市白皇山山頂に鎮座していた神社 ⇒ 白山神社 (土佐清水市)
  • 幡多郡黒潮町田野浦

   古代の幡多郡は高岡郡仁井田郷(現・四万十町)を含むと考えられており、「白皇神社」の分布とよく重なっている。『南路志』などを見ると、かつては「一村一白皇」と思われるほど、ほとんどの村に白皇神社(白皇権現)があった。こうなると統治者による政策の反映としか考えにくい。
    もちろん白川神道の影響は考察する必要があるが、むしろ白山神社の勧請による山岳信仰の繋がりが見えてきた。
    そもそも白皇権現は、四国霊場38番札所「金剛福寺」の奥の院であり、金剛福寺が創建されたとされる平安時代初期の弘仁13年(822年)に、白皇山真言修験寺として創建された。同時期に熊野三所権現や白山権現が勧請されている。すなわち、白皇山(標高433m)を対象とする真言系修験の山岳信仰と位置付けされる。後に神仏分離令により白皇神社となり、白山神社に合祀された。
    白山神社の総本社は、白山比咩神社といい、加賀国の一宮である。現在の鎮座地は、石川県白山市三宮町で、創建は崇神天皇の頃とされている。現在の祭神は、菊理姫、伊弉諾尊、伊弉冉尊の三神を祀る。
    ところが、高知県西部の白皇神社の祭神はほとんど大巳貴命であり、山岳信仰の色彩は感じられない。弘仁年間の勧請としているところがいくつか見られるが、金剛福寺文書を根拠としているのだろうということが分かってきた。

    一方、愛媛県側では「白王神社」という表記になる。祭神は、菊理姫、伊弉諾尊、伊弉冉尊の三神を祀るところが多く、白山神社系にも見える。
    その分布はやはり愛媛県西部に集中するが、八幡浜市および宇和島市の海浜部に密集している。もしかすると鯨(いさな)漁など海との関連性があるように思われる。イザナギ・イザナミ信仰の原初的な姿がこの地域から始まっていった可能性も感じられる。
    いずれにしても、高知県の白皇神社分布域と合わせて、一大文化圏をなしているようでもあり、今後の研究課題としておきたい。

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【2018/05/25 09:59 】 | キリスト者の神社参拝 | 有り難いご意見(0)
白皇(しらおう)でなく白王神社(須崎市)

    須崎市の野見湾を望む場所に鎮座する白王神社(須崎市大谷東勢井166-1)。高知県西部に集中する白皇神社とは一字違いで「皇」ではなく「王」の字を使う。この「白王神社」は愛媛県西部に集中し、高知県内では他に河内白王神社(高岡郡檮原町永野)がある。地図には出ないが、高野山大善寺の鎮守と思われる白王神社(須崎市西町1ー2)もわりと近くに存在する。



    この分布をどう見るか。まずは八幡浜と宇和島という豊後水道を横断する船の渡津地点。海浜部だけでなく県境付近の山地。そして1500年以上の歴史を持つ鳴無(おとなし)神社に近い港町でもある須崎市。古代官道の候補として提起した国道197号線の周辺に分布すると見ることができるのではないだろうか。
    須崎市の白王神社から見える野見湾の海底からは、井戸・階段・あぜ道の跡などの生活遺跡が見つかっており、対岸の戸島神社の周囲からは弥生式土器や茶碗等の陶器の破片も出土している。その昔「戸島千軒、野見千軒」と言われるほどの大集落があったという伝承も残されている。
    そして半島の先端付近には、なんと大長岬という地名が……。「大長」というのは最後の九州年号とも言われ、広島県にも「大長(おおちょう)みかん」で有名な呉市豊町大長という、辺境ではあるが歴史のある港町が存在する。もしかすると、九州王朝の残存勢力が逃げ伸びて、年号を地名として残したのではないかとの想像を巡らせてしまう。


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【2018/05/24 08:51 】 | キリスト者の神社参拝 | 有り難いご意見(0)
鳴無(おとなし)神社ーー『めぞん一刻』の管理人さんじゃねーよ

    浦ノ内湾に静かに鎮座する鳴無神社(須崎市浦ノ内東分字鳴無3579)。「おとなし」と聞くと、なぜか高橋留美子原作『めぞん一刻』の管理人(音無響子)さんを連想する。るーみっくワールドにはまり過ぎたか。
    鳴無神社は1550余年前に創建されたとされており、九州王朝と土佐国の関係を考える上で避けて通れない。地元でありながら、この日(2018/5/21)初めて足を踏み入れた。
    徳島県から二人組の女性が参詣に来られていたが、社務所に誰も居られないようで、御朱印ももらえず、うわさの水に溶ける(エコ素材)というおみくじも引けない。電話までしていたが、宮司さんは毎月1日と15日にしか見えられないようである。
    パワースポットと聞いて県外から足を運んで下さったのに、「ガッカリ名所」になってしまい気の毒であった。少しでも旅を楽しんでほしいと思い、いくつかのスポットを紹介してあげた。「ここのご利益は何ですか?」と質問されて、すぐに思い出せなかったが、そう言えば縁結びの神様でもあった。あまりお役に立てなかったかもしれないが、これも何かの御縁かもしれない。

    さて、味鋤高彦根神(あじすきたかひこねのかみ)、別名一言主命(ひとことぬしのみこと)は土佐国一宮土佐神社と同じ祭神であるが、土佐神社は当神社の別宮であったとされている。畿内中心の視点では、一宮である土佐神社が別宮で、西寄りのへんぴな場所にある鳴無神社のほうが本宮というのは理解し難いだろう。
    しかし、九州王朝の使者は豊後水道を船で渡って西からやって来たはずだ。ここは土佐の宮島とも呼ばれる。御由緒にもそのことが伺えるような伝承がある。大神は太平洋岸に上陸されたという。
夏の大祭はお船遊びと称し、大量旗をなびかせた漁船の海上パレードが勇壮に行われ、秋の大祭では神の子の結婚式(チリヘッポ)が厳かに行われる




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【2018/05/21 11:41 】 | キリスト者の神社参拝 | 有り難いご意見(0)
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