忍者ブログ
白皇(しらおう)でなく白王神社(須崎市)

    須崎市の野見湾を望む場所に鎮座する白王神社(須崎市大谷東勢井166-1)。高知県西部に集中する白皇神社とは一字違いで「皇」ではなく「王」の字を使う。この「白王神社」は愛媛県西部に集中し、高知県内では他に河内白王神社(高岡郡檮原町永野)がある。地図には出ないが、高野山大善寺の鎮守と思われる白王神社(須崎市西町1ー2)もわりと近くに存在する。



    この分布をどう見るか。まずは八幡浜と宇和島という豊後水道を横断する船の渡津地点。海浜部だけでなく県境付近の山地。そして1500年以上の歴史を持つ鳴無(おとなし)神社に近い港町でもある須崎市。古代官道の候補として提起した国道197号線の周辺に分布すると見ることができるのではないだろうか。
    須崎市の白王神社から見える野見湾の海底からは、井戸・階段・あぜ道の跡などの生活遺跡が見つかっており、対岸の戸島神社の周囲からは弥生式土器や茶碗等の陶器の破片も出土している。その昔「戸島千軒、野見千軒」と言われるほどの大集落があったという伝承も残されている。
    そして半島の先端付近には、なんと大長岬という地名が……。「大長」というのは最後の九州年号とも言われ、広島県にも「大長(おおちょう)みかん」で有名な呉市豊町大長という、辺境ではあるが歴史のある港町が存在する。もしかすると、九州王朝の残存勢力が逃げ伸びて、年号を地名として残したのではないかとの想像を巡らせてしまう。


拍手[1回]

PR
【2018/05/24 08:51 】 | キリスト者の神社参拝 | 有り難いご意見(0)
鳴無(おとなし)神社ーー『めぞん一刻』の管理人さんじゃねーよ

    浦ノ内湾に静かに鎮座する鳴無神社(須崎市浦ノ内東分字鳴無3579)。「おとなし」と聞くと、なぜか高橋留美子原作『めぞん一刻』の管理人(音無響子)さんを連想する。るーみっくワールドにはまり過ぎたか。
    鳴無神社は1550余年前に創建されたとされており、九州王朝と土佐国の関係を考える上で避けて通れない。地元でありながら、この日(2018/5/21)初めて足を踏み入れた。
    徳島県から二人組の女性が参詣に来られていたが、社務所に誰も居られないようで、御朱印ももらえず、うわさの水に溶ける(エコ素材)というおみくじも引けない。電話までしていたが、宮司さんは毎月1日と15日にしか見えられないようである。
    パワースポットと聞いて県外から足を運んで下さったのに、「ガッカリ名所」になってしまい気の毒であった。少しでも旅を楽しんでほしいと思い、いくつかのスポットを紹介してあげた。「ここのご利益は何ですか?」と質問されて、すぐに思い出せなかったが、そう言えば縁結びの神様でもあった。あまりお役に立てなかったかもしれないが、これも何かの御縁かもしれない。

    さて、味鋤高彦根神(あじすきたかひこねのかみ)、別名一言主命(ひとことぬしのみこと)は土佐国一宮土佐神社と同じ祭神であるが、土佐神社は当神社の別宮であったとされている。畿内中心の視点では、一宮である土佐神社が別宮で、西寄りのへんぴな場所にある鳴無神社のほうが本宮というのは理解し難いだろう。
    しかし、九州王朝の使者は豊後水道を船で渡って西からやって来たはずだ。ここは土佐の宮島とも呼ばれる。御由緒にもそのことが伺えるような伝承がある。大神は太平洋岸に上陸されたという。
夏の大祭はお船遊びと称し、大量旗をなびかせた漁船の海上パレードが勇壮に行われ、秋の大祭では神の子の結婚式(チリヘッポ)が厳かに行われる




拍手[0回]

【2018/05/21 11:41 】 | キリスト者の神社参拝 | 有り難いご意見(0)
菅原道真の宝刀を祀る潮江天満宮
    土佐女子・追手前・丸の内などの生徒の通学路にもなっている「大橋通り」の名は、鏡川に架かる天神大橋からつながる通りであることに由来する。その天神大橋のたもとに鎮座するのが潮江天満宮(高知市天神町19-20)である。ここの参詣客は一宮の土佐神社をしのぐほどだという。
    まずは潮江天満宮のホームページから、その由来を紹介する。

潮江天満宮の由来

 鏡川の南岸、筆山北鹿の景勝地に鎮座。
 平安朝の名臣として、政治・文化・学問等に秀れ、広大無辺の聖徳を兼ね備えられた菅原道真公を主祭神とし、他に四柱の神を合せお祀りしている。
 道真公は学者より身を起し、昌泰(しょうたい)2年(899)には右大臣に進まれ、左大臣藤原時平と並んで政務を執る事となった。
 識見信望共に抜群である事を快く思わない藤原時平は密かに排陥(はいかい)の策をたて、やがて昌泰4年<延喜元年(901)>1月25日、道真公は太宰権師(だざいごんのそち)として西海に左遷され、同時に長男の右少弁菅原高視朝臣もまた土佐権守として京都を遂われ土佐国潮江に住居した。
 道真公が太宰府(だざいふ)で、延喜3年(903)2月25日に薨去(こうきょ)されると、侍臣白太夫は遺品を護持してこれを高視朝臣に伝えるため、はるばる土佐に来国した。白太夫は老齢と難路に苦しみ健康を害し、ようやく長岡郡大津村舟戸(現高知市)の霊松山雲門寺にたどりついたが病を発し、延喜5年(905)12月9日79歳で歿した。
 高視朝臣は、白太夫の没後その遺品をおさめ、これを霊璽(みたましろ)として祀ったのが潮江天満宮の由来である。
 尚、高視朝臣は、延喜6年復官し京都に帰り、延喜13年38歳で卒去(そっきょ)したとあるが地元の説では、延喜6年この地にて逝去され、現在屋敷跡と共に墓所(おくつき)もあり、年に3回墓前祭がおこなわれている。 





    境内には菅原道真公一代記として、16枚の絵とともに略歴が紹介してある。「伝えによると、高視朝臣が菅原道真公の遺品を霊璽(みたましろ)として竜神(りゅうじん)の祠(ほこら)へお祀りして以来約1100年」とのこと。コレラが流行した時、遺品を細かくして患者に飲ませたら治ったとの奇跡も語り継がれている。
    九州年号見つけた②ーー菅原道真の刀剣に刻まれた「朱鳥」で紹介した「朱鳥二年」の銘が刻まれた刀剣については、聞くところによると本殿に祀られているらしい。
    ところで「朱鳥」という年号は『日本書紀』によると天武天皇15年7月20日ユリウス暦686年8月14日)に定められ、同年9月9日(ユリウス暦10月1日)に天武天皇崩御すると、早くも翌年より用いられなくなったとされる。

    ところが『万葉集』『日本霊異記などには、朱鳥4年、6年、7年、8年などが見える。すなわち、天武天皇による年号ではなく、別の王朝によるもの、いわゆる九州年号であることが分かる。
    菅原道真の遺品とされる刀剣の真偽は慎重に検証するべきかもしれないが、「朱鳥二年」と刻まれた内容は、少なくとも『日本書紀』を知る者の偽作ではあり得ないだろう。



    祭神は菅原道真公、高視朝臣(道真公ご長男)、北御方(道真公の奥さん)、天穂日命(菅原家の祖神)、大海津見命(海の神様)。
境内社として、白太夫神社・若栄社・大山祇神社・早良宮・島崎神社・幡竜宮がある。


拍手[0回]

【2018/04/23 12:51 】 | キリスト者の神社参拝 | 有り難いご意見(0)
1300年の歴史を持つ荒倉神社②ーー橘家との繋がりは?
   『吾川郡春野町資料調査報告書』(高知県立郷土文化会館、昭和53年)の中に荒倉神社の蔵書が記載されている。もちろん、神道関係の資料が多いのだが、蔵書32点中、橘家関連の写本が3点ある。「橘家蟇目鳴弦之伝書」(3冊)「橘家神体勧請伝」「橘家清祓式法」。また、荒倉神社史料として「橘家夏越祓式」がある。

   ここに登場する橘家とは?  京都梅宮の神官橘氏に伝わる橘家神道なるものがある。江戸時代中期、玉木正英が唱導した神道で、橘諸兄(もろえ)から伝わると称する。思想・教学的な面より行法や儀式を重視、蟇目(ひきめ)・鳴弦など諸神事・秘伝を体系化した。
   蟇目鳴弦は諏訪大社の「新年祈請祭」で弓を射て、弦を鳴らす悪霊退散の儀式。「蟇目祈祷と鳴弦法は、神長官守矢家の一子口伝で代々伝えられたが、今は廃絶してしまった」とされるが、諏訪大社の勧請によって「橘家蟇目鳴弦之伝書」が持ち込まれたのであろう。

   荒倉神社の宮司は吉良家が32代守り続けてきたが、数年前新川さんという方に交代した。その際お返しした物もあったというから『報告書』記載の資料群が残っているかは定かではない。
   吉良城主の吉良氏との繋がりについて詳細は分からないが、 「年譜書」によれば、元親治政期に、社領とも召上げられ、一豊入国時の慶長五年、改めて社領二反(二石)を与えられ、享保十五年には藩庁直支配となっているようである。この間神官二代の吉良又八斎垂は吉良姓を井沢姓に改め、維新を経験した井沢石見光徳は井沢を再び吉良に返している。社名は王政復古を境に荒倉三社大明神から荒倉神社へ、社格は郷社であった。
   この三社のうちの1つが諏訪大社であり、春日大社と共に荒倉神社に勧請されている。


拍手[0回]

【2018/04/07 10:44 】 | キリスト者の神社参拝 | 有り難いご意見(0)
中央分離帯に残された神母(いげ)神社
    神母神社が建っている場所は土佐市宇佐町の県道39号線が宇佐湾に出る直前の中央分離帯。道路が整備される時に信仰深い人々が神社をそのまま残そうとしたことが感じられる。
   高知県には、全国的に見られる稲荷神社はほとんど無く、その代わりに保食神(うけもちのかみ)を御祭神とする神母神社・通称おいげさんが多数祀られている。農業に関係の深い神様とされているものの、その実体ははっきりしない。
   朝倉神社(土佐の二宮、延喜式内社)の祭神が天津羽羽神(あまつははがみ)といい、こちらも『古事記』『日本書紀』に登場しない神様である。もしかすると何らかの関連性があるのかもしれない。

拍手[0回]

【2018/03/21 15:18 】 | キリスト者の神社参拝 | 有り難いご意見(0)
<<前ページ | ホーム | 次ページ>>