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 謎解きでおなじみの松丸亮吾さんではないが、はじめにクイズを一問。家庭教師のトライといえばアルプスの少女ハイジだが、土佐国最古の廃寺トライアングルといえば何?

 答えは、①旧土佐郡の秦泉寺廃寺(高知市中秦泉寺)、②旧吾川郡の大寺廃寺(高知市春野町西分)、そして③旧高岡郡の野田廃寺(土佐市高岡丙野田)である。中でも最古とされるのは秦泉寺廃寺であり、「有稜線素弁八葉蓮華文軒丸瓦」をはじめとする出土物がそのことを裏付けている。
 秦泉寺廃寺の創建瓦の時期は、畿内の瓦の変化との時間差も考慮すれば飛鳥時代後半の七世紀後葉~末葉以降と考えられる。各次の調査で出土した軒平瓦の文様が重孤文のみとみられることと併せると、その時期を大きく下ることはないと思われる。そして大寺廃寺、野田廃寺の軒丸瓦は本類より後出するとみられることや平瓦においては秦泉寺廃寺、野田廃寺ともに凹面に模骨痕がみられるものが普遍的にあり、基本的に桶巻作りである可能性が高いことも、この年代観と齟齬はないといえる。(『遺跡が語る高知市の歩み 高知市史 考古編』高知市史編さん委員会考古部会、平成31年)
 「畿内の瓦の変化との時間差も考慮すれば」としていることから、一元史観の影響でやや遅めの年代比定となっている感がある。ONライン(700年)以前の創建ということは間違いなさそうであるから、多元史観の視点に立てば、実際はさらに七世紀前半にさかのぼる可能性さえ見えてくる。

 春野町・大寺廃寺と土佐市・野田廃寺跡出土の軒丸瓦の文様は同型であり、秦泉寺廃寺に後続する同系瓦と見られている。一元史観の影響からか、創建年代を奈良時代と比定する向きもあるが、軒丸瓦の形式のみから判断すると、やはり七世紀の創建と推定できる。また「土佐国分寺や比江廃寺との関連を積極的に示す瓦は見当たらない」とされていることからも、長岡郡の国府跡付近(南国市)に建てられた土佐国分寺とは時代や背景を大きく分かつ。それらは当然ながら、聖武天皇の詔(741年)以前から存在し、いわゆる国分寺に先行する古代寺院であったことが分かる。
 これら3つの廃寺は通説では郡寺的な役割とされるが、そもそも土佐国はもとは4郡(安芸・土佐・吾川・幡多)しかなく、国府が置かれた長岡郡は後に分郡されたとの説もある。すなわち、元来(ONライン以前=九州王朝時代)は土佐国の中心は土佐郡だったのではないかとの見方もできる。
 野田廃寺も創建当時は吾川郡内であり、吾川郡から高岡郡が分郡されたのが9世紀であるから、同郡内に2つの古代寺院が存在したことになる。瓦の文様等に類似性が見られるのも当然かもしれない。
 大寺廃寺跡では発掘調査は行われていないが、『長宗我部地検帳』に「大寺寺中」とあることから、16世紀まではその存在が確認できる。一方、野田廃寺のほうは早くにその姿を消してしまったようで、所在地の「字白石」周辺には寺院跡らしき地名遺称が見当たらない。

 他方、秦泉寺廃寺については「秦泉寺」や「カネツキ堂」という地名遺称がその存在を現在に伝えている。それ以外にも県下には、比江廃寺やコゴロク廃寺といった古代寺院跡が確認されている。
 近年の研究によると、地方寺院は七世紀後半のいわゆる白鳳期に爆発的に増加する。『扶桑略記』には持統朝には545寺あったと記されており、全国のこの時期の寺院遺跡数はその数をはるかに上回っている。土佐国にもその1%程度の古代寺院がかつて存在しており、多元史観によってその役割や位置付けの解明が求められているのかもしれない。

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 大学時代に『「邪馬台国」はなかった』(古田武彦著)を読んで、夜寝られなくなりました。古代史に関心を持つようになったきっかけです。
 算数・数学・理科・社会・国語・英語など、オールラウンドの指導経験あり。郷土史やルーツ探しなど研究を続けながら、信頼できる歴史像を探究しているところです。
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