2008年10月19日、古田武彦氏は愛知教育大学で「日本思想史学批判 ―『万世一系』論と現代メディア―」と題する講演を行なっている。その中で、日本を代表するT大、K大、Q大の学生新聞がこぞって古田説を取り上げていることを語っている。3大学のうちでも、とりわけ「Q大が一番早かったかな」とも。 「あかりをつけて、それを枡の下におく者はいない。むしろ燭台の上において、家の中のすべてのものを照させるのである」(マタイによる福音書5章15節)とあるが如く、一度灯された真理の光を覆いかくすことはできないという意味で語られたものと受け止める。 学生新聞というメディアを通して学生及び大学関係者に古田説を広めることに貢献した一人が、“『「邪馬台国」はなかった』発刊50周年記念エッセイ①”で紹介したM氏であろう。古田史学に傾倒する歴女のQ大生から『「邪馬台国」はなかった』の存在を教えられたM氏は、初期3部作(『「邪馬台国」はなかった』『失われた九州王朝』『盗まれた神話』)をはじめ、手に入る古田武彦氏の著書を買い集めた。 やがてM氏の「東アジア共同体の胎動 ー歴史的土台を探るー」という連載記事がいくつかの大学の学生新聞に掲載されるようになる。氏はICSAという団体で日本と韓国の学生交流に携わった経験から、両国間の歴史認識の違いを肌で感じていたようである。記事中における古代史の部分に関しては、大幅に古田説を取り入れた内容になっており、古田史学の影響を受けたことが読み取れる。 手元にある1997年1月の『T大新報』(月3回発行)に、第30回目の連載記事があることから、T大学では1996年頃から連載が始まったと推察する。正確な資料はないが、母校のK大学や古田史学と出合ったQ大学では、さらに早い段階から学生新聞上での執筆活動をしていたようである。古田説を支持するQ大名誉教授と古田武彦氏の対談が実現するよりも少し前の頃ではなかっただろうか。 大学は真理探究の府であり、学生新聞は大学界のオピニオンリーダーを自負していた当時である。古代史学会で古田説がいくら無視されたとしても、真理を求める者たちの目を覆うことは出来なかった。このようにして、真理を愛する人々の中に古田史学の種が蒔かれていったのである。 PR |
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