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『「邪馬台国」はなかった』発刊50周年記念エッセイ①
 「邪馬台国はなかったんだよ」
 九州の東大と言われる国立Q大の女子学生がポツリとつぶやいた。それを聞いたM氏は、「この人何を言っているんだろう」と最初はまともに受け取らなかったという。歴史を多少なりとも学んだものであれば、邪馬台国が存在しなかったなどという考えはバカげた空想にしか思えない。中国の歴史書『三国志』「魏志倭人伝」に記述され、女王・卑弥呼に贈られた「親魏倭王」の金印こそ見つかっていないものの、国内における弥生時代の遺跡(吉野ヶ里遺跡など)が倭人伝の記述の信憑性を裏付けている。
 ところが、彼女が読んでいた『「邪馬台国」はなかった』(古田 武彦著、1971年)をM氏が手にして見ると、そこには従来の常識を覆すような内容が書かれていたのである。このM氏は現在、プロの家庭教師として首都圏で活躍しておられ、かつてセミナーや文筆活動を通じて、古田史学を紹介し、世に広めた人物であった。
 かく言うこの朱儒国民もM氏から古田史学を紹介され、『「邪馬台国」はなかった』を読んで、驚きのあまり、夜眠るのも忘れて朝まで読み明かしてしまったのだ。私にとってM氏は古田史学のバンガード(先導者)といった存在である。古代史に関連するいくつかの史跡などにも連れていってもらったこともあった。

 小説家の小松左京氏は「古代史論争の盲点をつく快著」と題して『「邪馬台国」はなかった』の紹介文を書いている。
 古田武彦氏の『「邪馬台国」はなかった』を最初にすすめてくれたのは、文化人類学者の梅棹忠夫先生だった。――一読して、これまでの論議の盲点をついた問題提起の鮮やかさ、推理の手続きの確かさ、厳密さ、それをふまえて思い切って大胆な仮説をはばたかせるすばらしい筆力にひきこまれ、読みすすむにつれて、何度も唸った。何よりも、私が感動したのは、古田氏の、学問というものに対する「志操」の高さである。初読後の快く充実した知的酩酊と、何とも言えぬ「後味のさわやかさ」は、今も鮮やかにおぼえている。
 また、『「邪馬台国」はなかった』の著者・古田武彦氏は次のように語っている。
 今まで「邪馬台国」という言葉を聞いてきた人よ。この本を読んだあとは、「邪馬壹国」と書いてほしい。しゃべってほしい。
 なぜなら、「台」は「䑓」の当用漢字だ。ところが、『三国志』の原本には、どこにも「䑓」や「台」を使ったものはない。みんな「邪馬壹国」または「邪馬一国」だ。それを封建時代の学者が「ヤマト」と読むために、勝手に直したものだった。それがわかった今、あなたが真実を望むなら、この簡単明瞭な「邪馬一国」を誰の前でも恐れず使ってほしい。
 『魏志倭人伝』の原典には「邪馬台国」ではなく「邪馬壹国」と書かれていた――これがまぎれもない事実であり、これを論証し明言したところから古田史学が出発していった。実に半世紀前のことであった。



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【2020/07/04 01:20 】 | 魏志倭人伝 | 有り難いご意見(0)
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