香川県の財田川水系に高良神社が密集しているのはなぜか? 財田川河口が古代における天然の河口津として、九州王朝の船団が寄港する拠点となったからであろう。財田川河口に発展した観音寺市には観光の名所・銭型砂絵がある。そこの地名がなんと有明浜。九州王朝の心臓部に広がる有明海を連想する。銭型砂絵を見下ろす山の上には琴弾八幡宮(観音寺市八幡町1丁目1-1)が鎮座する。祭神は応神天皇・神功皇后・玉依姫命。その境内社として、参道の途中左手に高良神社が存在しているのだ。近くには興昌寺山第1号古墳もあって、これらの地理的条件は九州王朝とのつながりが深いことを示唆するものではないだろうか。 7月13・14日は観音寺市の夏祭りで賑わっており、琴弾八幡宮の境内が夏祭りのための駐車場として利用されていた。祭りには目もくれず、一目散に参道の階段を上っていく。大鳥居から381段の階段を上がると本殿がある。 琴弾八幡宮は大宝3年(703年)3月、琴弾山で日証上人が修行していると彼方の空が鳴動し、琴を弾く翁を乗せた船が漂着。その翁は「宇佐より至る八幡菩薩なり、この風光去りがたし」と告げ消えた。上人は、このお告げを感得し、里人と共に、その船を神舟とし琴と共に、山頂に運び祀ったのに始まるとされ、社名の「琴弾」はそれに由来する。 ただし、ONライン(九州王朝と大和朝廷の画期701年)直後の大宝年間勧請という由緒を持つ神社が全国的にも多いのは、大和朝廷による神社再編のような政策が反映されている可能性も考えられる。 西方には愛媛・九州方面へ瀬戸内海が広がり、本殿からの眺めは雄大で、確かに風光明媚と言えよう。さらに琴の演奏の音楽がながれ、訪れる人の心を癒してくれる。また、滝沢馬琴の『椿説弓張月』の舞台にもなっている。 麓から琴弾山頂まで数多くの境内社があり、一覧は次の通り。 境内社:庚申神社、山之神神社、琴弾戎、忠魂社、鹿島神社、船霊神社、須賀神社、稲荷神社、宮阪天神、高良神社、松童神社、風之神社、五所神社、蔵谷神社、青丹神社、住吉神社、若宮、武内神社 山頂に武内宿禰命を祭神とする武内神社がありながら、『香川県神社誌』で高良神社の祭神を同じく武内宿禰命としているのはいかがなものだろうか。本来は高良玉垂命とすべきところを後世の解釈によって武内宿禰命としたために、このような矛盾が生じてしまったのだろう。現地の看板には「高良玉垂(かはらたまたれ)神」と書かれていた。 PR |
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