『日本書紀』の各巻には、①正格漢文で書かれたα群(巻14~21、24~27)、②倭習漢文で書かれたβ群(巻1~13、22~23、28~29)、③それ以外(巻30)があることが最近の研究で分かってきている。とりあえず、巻ごとに[α][β]を付けてみた。 『日本書紀』αβリスト[β] 巻01/神代上[β] 巻02/神代下 [β] 巻03/神武天皇(50年ごろか) [β] 巻04/綏靖、安寧、懿徳、孝昭、孝安、孝霊、孝元、開化天皇 [β] 巻05/崇神天皇(210年ごろか) [β] 巻06/垂仁天皇(250年ごろか) [β] 巻07/景行天皇(300年ごろか)、成務天皇 [β] 巻08/仲哀天皇 [β] 巻09/神功皇后(350年ごろか) [β] 巻10/応神天皇(400年ごろか) [β] 巻11/仁徳天皇(420年ごろか) [β] 巻12/履中、反正天皇 [β] 巻13/允恭、安康天皇 [α] 巻14/雄略天皇(480年ごろか) [α] 巻15/清寧、顕宗、仁賢天皇 [α] 巻16/武烈天皇(500年ごろか) [α] 巻17/継体天皇(507-531年) [α] 巻18/安閑(531-535年)、宣化天皇(535-539年) [α] 巻19/欽明天皇(539-571年) [α] 巻20/敏達天皇(572-585年) [α] 巻21/用明(585-587年)、崇峻天皇(587-592年) [β] 巻22/推古天皇(592-628年) [β] 巻23/舒明天皇(629-641年) [α] 巻24/皇極天皇(642-645年) [α] 巻25/孝徳天皇(645-654年) [α] 巻26/斉明天皇(655-661年) [α] 巻27/天智天皇(661-671年) [β] 巻28/天武天皇(673-686年) [β] 巻29/同上 他 巻30/持統天皇(686-697年) ▲タイトルや各天皇の即位年代は、「日本書紀、全文検索」のサイトを参照しており、「継体天皇以降は通常のものですが、それ以前については、イメージをつかむために便宜的に設定したものに過ぎません(根拠なし)」とのこと。 様々な検索結果等をグラフにしてみることは大変有益であるが、今後αβ付きのデータにしてもらえると、より参考になるのではないかと感じる。α群とβ群では作者が違うとされているので、最先端の『日本書紀』研究において、α群・β群の差異を考慮しないのは片手落ちになる可能性大だ。 例えば、『肥さんの夢ブログ』で紹介された「蝦夷」検索結果にαβを付けてみたら、次のような感じになる。α群・β群で大きく違いが出るのか、あるいはほとんど影響が見られないのか。 「蝦夷」検索結果β 神武 β 綏靖 β 安寧 β 懿徳 β 孝昭 β 孝安 β 孝霊 β 孝元 β 開化 β 崇神 β 垂仁 β 景行・成務 ●●●●●●●●●● ●●●● 14 β 仲哀 0 β 神功 0 β 応神 ●● 2 β 仁徳 ●●●● 4 β 履中・反正 0 β 允恭・安康 0 α 雄略 ●●● 3 α 清寧・顕宗・仁賢 0 α 武烈 0 α 継体 ●●● 3 α 安康・宣化 ● 1 α 欽明 ● 1 α 敏達 ●●● 3 α 用明 ● 1 α 崇峻 0 β 推古 0 β 舒明 ●●●●●● 6 α 皇極 ●●●●●●●●●● ● 11 α 孝徳 ●●● 3 α 斉明 ●●●●●●●●●● ●●●●●●●●●● ●●●●●●●●●● ●● 32 α 天智 ●● 2 β 天武 ●● 2 他 持統 ●●●●●●●● 8 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「蝦夷」という言葉はα群に60件、β群に28件、その他8件であった。このようなデータを集めることで、α群・β群の史料としての特徴が浮かび上がってくるのではないだろうか。 とりわけ、α群ーー地群の人々(大和朝廷)によるもの、β群ーー天群の人々(九州王朝)によるものとする谷川清隆氏の仮説が成立するのか、どうなのか。検証を深めていく必要がありそうだ。 PR |
|