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 「長岡郡大豊町に斉明6年棟札があった①」で紹介した長岡郡大豊町は高知県北部の山間地帯にある。隣接する本山町、土佐町、大川村の4町村を合わせて「嶺北」とも呼ばれ、標高200〜1800mの典型的な山村地域だ。約90%を森林が占め、まさに高知の中の高地といったところだろうか。
 大豊町桃原(ももはら)には「高羅大夫社」が鎮座しているというので、その神社が高良神社と同様の社であるのか確認したいと思って訪ねたのがきっかけだったが、行ってびっくり。桃原地区のほとんどが「上村」姓だったのである。高知県では「植」の字を使う「植村」姓が主流で、「上村」は珍しい。
 北側には四国山地の峰々が連なり、急な斜面に人家が建ち並ぶ。舗装された道路はあるが、山頂に近づくと、車では引き返すのも大変な道になってくる。吉野川を見下ろす景色は素晴らしいけれども、よくこんな不便そうな場所に住んでいるものだと関心する。まさに桃源郷を連想させる隠れ里のような桃原地区であった。
 ホームページ『名字由来net』<https://myoji-yurai.net/sp/>によると、「上村」姓のルーツには次の三つの流れがあるようだ。
①現熊本県である肥後国球磨郡が起源(ルーツ)である、中臣鎌足が天智天皇より賜ったことに始まる氏(藤原氏)。藤原南家。
②ほか清和天皇の子孫で源姓を賜った氏(清和源氏)、
③古代氏族であり、美努(みの)王の妻県犬養(あがたのいぬかい)三千代が橘宿禰(すくね)の氏姓を与えられることに始まる橘氏楠木氏流。
など様々な流派がある。
 大豊町は大杉と豊永の名前を合わせたものであり、桃原はかつての豊永郷に含まれる。さらに豊永という名前は、小笠原備中守豊永の末裔で、豊永の姓は肥前松浦郡豊永庄に由来していると記録にある。現在も熊本県玉名郡に豊永という地域があり、球磨郡にもかつては豊永郷があったという。どういうわけか急に九州とのつながりが見えてきた。
 ONライン(701年)以前の創建を伝える参大妙見社の棟札(斉明六年棟札)の存在。天御中主尊を祭神とする妙見社は明治になって星神社に名称変更になっているが、高知県下約60社中の13社が大豊町に集中している。熊本県の八代神社(妙見宮)をはじめとする九州方面からの妙見信仰が高知県内で最初に根付いたところが大豊町(旧豊永郷)ではなかったか。
 さらに、大宝二年棟札(熊野十二所神社所蔵)に上村姓が見えることから、この上村一族が大豊町桃原の地で、古くから妙見社および熊野十二所神社、さらには高良神社(高羅大夫社)を祀ってきたのではないかと推測できる。
 中世より豊永郷を治めていた小笠原氏、豊永氏が、江戸時代の土佐藩政時代にも、この地をそのままを治めることとなった。中世以前の文化が多く残る貴重な地域となったゆえんである。土佐山内家宝物資料館に保存されている『御侍中先祖書系図牒』には、太平、怒田、九次の三ケ村を領地とするとある。「九次」という場所が不明とされているが、神事と関係する地名のようにも感じられる。
 ますますこの地域とこの地に入植して住みいついた一族に目が離せなくなってきたようだ。


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 大学時代に『「邪馬台国」はなかった』(古田武彦著)を読んで、夜寝られなくなりました。古代史に関心を持つようになったきっかけです。
 算数・数学・理科・社会・国語・英語など、オールラウンドの指導経験あり。郷土史やルーツ探しなど研究を続けながら、信頼できる歴史像を探究しているところです。
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