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 12月21日、今日は何の日か知っていますか? そう、冬至ですね。昼が最も短くなる日です。ところで、2学期の期末テストはどうでしたか。成績がいま一歩だった人も、この日を境に昼が長くなるように、成績もV字回復を目指していきましょう。
 さて、質問です。縄文人はカレンダーを持っていたでしょうか? 「持っていなかったと思います」と生徒の一人が答えた。期待していた反応である。毎年この時期になると、“縄文人はカレンダーを持っていたか?”という話題を持ち出したりする。この日は休み時間の5分程度で、昔よくやった「冬至スペシャル授業」のエキスだけ話すことにした。
 「縄文人のことを知るには縄文時代の遺跡を調べたらいいよね。縄文時代を代表するのは何遺跡?」
 「吉野ヶ里」
 「それは弥生時代ですね」
 別の生徒が「三内丸山遺跡」と正解を出してくれた。三内丸山遺跡では、直径1メートルの柱跡が4.2メートル間隔で6本分見つかっています。今はそこに柱だけ立てて、巨大な建造物があったことをイメージできるようにしています。壁はないですけどね。

▲縄文時代の三内丸山遺跡

 ある人が冬至の日(12月下旬)、雪の積もる青森県の三内丸山遺跡に行って、日が沈む方角を調べました。すると、日没の瞬間、3本の柱の影がピッタリ重なったといいます。ということは、この建物は冬至の日没の方角に合わせて建てられていたことになります。
 これだけなら偶然の一致とも考えられますが、お隣りの秋田県にも大湯環状列石(ストーンサークル)という、やはり縄文時代の遺跡があります。大小2つの環状列石があり、小さいほうの円の中心から大きいほうの円の中心の石柱を見た方角がちょうど冬至の日の出の方角に一致するというのです。
 他にも、長野県のレイラインや岐阜県下呂市金山町にある金山巨石群など、冬至や夏至を意識した遺構が全国各地に見られます。ということはやはり、縄文時代当時の人は冬至を知っていたようですね(さり気ないダジャレに生徒もニンマリ)。今のような紙のカレンダーはなくとも、建造物等を利用して歳月の移り変わりを読みとっていて、その頃は冬至を1年の節目としていたのではないでしょうか。


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『探訪―土左の歴史』第19号 (仁淀川歴史会、2023年6月)
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 大学時代に『「邪馬台国」はなかった』(古田武彦著)を読んで、夜寝られなくなりました。古代史に関心を持つようになったきっかけです。
 算数・数学・理科・社会・国語・英語など、オールラウンドの指導経験あり。郷土史やルーツ探しなど研究を続けながら、信頼できる歴史像を探究しているところです。
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