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比江廃寺は法隆寺式なのか?
   『土佐史談189号』(土佐史談会、平成4年3月)に出原惠三氏の「比江廃寺」という論考がある。

    1990年までの発掘調査の成果、および出土した瓦当文様の分析がとても参考になった。単弁蓮花文(7世紀後半)と複弁蓮花文(8世紀)の軒丸瓦は出土しているが、素弁蓮花文は無し。国分寺跡の出土瓦と同笵があり、出土状況も似ている。国分寺研究サークルのデータ通りである。
    岡本健児氏は『ものがたり考古学』の中で、塔礎石の東側に金堂があったとし、法隆寺式の伽藍と推定されている。発掘調査では南方から大量の瓦が出土したものの法隆寺式を肯定する証拠も否定する証拠も確認できなかったようだ。
    そして何より刮目すべき点は「藤原宮や平城京式の影響が全くと言ってよいほど認められない」との指摘である。土佐国司の初見は『続日本紀』天平十五年(743年)六月三十日の引田朝臣虫麻呂の登場を待たなければならず、8世紀初頭の段階では、まだ大和朝廷の影響下に浴してはいなかったとの結論は一考の価値あり。
    ちなみに高知県で素弁蓮花文瓦が全く出土していないわけではない。秦泉寺廃寺と大寺廃寺の跡から「有稜線素弁八葉蓮花文軒丸瓦」が見つかっている。高知県では最も古い寺であったと推測される。


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【2018/05/19 12:51 】 | 古代南海道を探せ | 有り難いご意見(0)
滋賀県の高良神社②ーー長浜八幡宮 境内社
    長浜といえば、高知市にも長浜がある。高知市長浜は長宗我部元親像が立つ若宮八幡宮で有名であるが、滋賀県長浜市は豊臣秀吉とつながりのある長浜八幡宮で知られている。
    その境内右手奥に高良神社が鎮座する。考えればこの位置、鬼門の方角ではないか。数多くの境内社がある中で最も重要な場所に高良神社を配しているようだ。


    ご利益があるという「ボケ封じの石」も高良神社のすぐ横にある。また、赤ちゃんのお食い初めに使った歯固めの石を奉納するところにもなっている。不思議だなあと思っていたら、高良神社が「ボケ封じの宮」とされていた。
 ホームページに「当宮長浜八幡宮境内にある高良神社(こうらじんじゃ)の御祭神 武内宿禰(たけうちのすくね)は景行、成務、仲哀、応神、仁徳と五代の天皇を仕えた方で有り、古来より長寿の神様として多くの方々の参拝で賑わっておりますが、長寿、すなわち永きに亘り健康でボケる事無く活躍された故事により現代人の願いボケ封じとして多くの方々のお詣りをお待ちいたしております。」と紹介されている。
    ボケたわけではないだろうが「天皇に仕えた方」と書くつもりが「天皇を仕え(させ)た方」と思わず本音が漏れそうになった。この時代の天皇は国家のナンバー1ではなく、まだ臣下の立場であった。臣下だけ祀られて、本来の主人は祀られていないのだろうか?
    ちなみに、ここの高良神社例祭は9月15日となっており、四万十市蕨岡の高良神社と同じ日になっている。

 
以下、長浜八幡宮のホームページより

saisin_title.gif (1260 バイト)


[東御前] 足仲彦尊(タラシナカツヒコノミコト)仲哀天皇


厄除開運


[中御前] 誉田別尊(ホンダワケノミコト)応神天皇


厄除開運・健康長寿の神


[西御前] 息長足姫尊(オキナガタラシヒメノミコト)神功皇后


安産守護の神

yuisyo_title.gif (1343 バイト)

当宮は延久元年(西暦1069年)、源義家公が後三条天皇の勅願を受け、京都の石清水八幡宮


より御分霊を迎えて鎮座されました。それよりこの地は八幡の庄と称えられ庄内十一郷の産土


(うぶすな)の神として深く崇敬される事となりました。当時その社頭は三千石、一山七十三坊と


伝えられ、本宮の石清水八幡宮を凌ぐくらいであったといわれます。しかし、その後、しばしば


兵火にみまわれ、その社殿はほとんど消失されました。時は流れ、天正二年(西暦1574年)


羽柴秀吉公が長浜城主となるや、その大社の荒廃を惜しみ、社殿の修理造営をなし再興に


努めました。この史実は、長浜曳山祭の起源とも言われています。

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【2018/05/12 12:07 】 | 高良神社の謎 | 有り難いご意見(0)
滋賀県の高良神社①ーー彦根市の高良塚
    滋賀県彦根市に古くは高良塚と呼ばれていた場所がある。『坂田郡志』によると墳丘もあって古墳であったように思われる。残念ながら現在は平坦地となっており、周囲は畑に囲まれて、古墳の面影はない。
    高知県の高良神社を調べていると、どういうわけか謎を解く鍵が滋賀県につながってくる。栗東市綣(へそ)の大宝神社、彦根市の高良塚……。天智天皇の近江朝と関係があるのかも知れない。なぜなら、高知県には天智天皇に関する伝承が実に多く残されているからだ。
    謎を解く鍵を追って、はるばる滋賀県にやって来た。予定では5月4日のうちに来たかったのだが、大武(婦)天皇宮、石清水八幡宮、大宝神社などを調査していて夜遅くなり、5月5日(土)の朝になってしまった。由緒を知ってなるほどと思った。
「祭日は五月五日なり」ーーこの日にお参りして欲しかったのだろう。



高良神社 (コウラ)
滋賀県彦根市鳥居本町2462
祭神 武内宿禰命

御由緒
天保三年四月の創立という。『坂田郡志』に「此の地、古へより高良塚と称して一丘の高地なりしが、天保三年四月、この高地を穿ちしに、古鏡二面を発掘せり。依って祠を建て武内宿禰を祭神とす。祭日は五月五日なり。」と記している。

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【2018/05/12 11:11 】 | 高良神社の謎 | 有り難いご意見(0)
高良玉垂命と武内宿禰命は別神ーー初公開、石清水八幡宮の七社御影
   「仁和寺にある法師、年寄るまで石清水を拝まざりければ心うく覚えて、ある時思い立ちてただひとり……」やって来ました石清水八幡宮。「極楽寺、高良を拝みて山までは見ず」のつもりであったが、カーナビに出ないので仕方なく石清水八幡宮を目的地設定した。するとダイレクトに男山の山頂に導かれた。
    それにしても壮大である。あまりの見事さに一瞬心奪われ、危うく「石清水を拝みて麓(高良神社)までは見ず」というオチになるところだった。麓に下りて頓宮横の高良神社を確認したら、山の上が気になった。初公開の文化財が展示されるというのである。「ゆかしかりしかど」高良神社を調べることが「本意なれ」と思って立ち去ろうと思った。明日の朝には岐阜県に行っていないといけない。
    しかし、私が訪ねた5月4日(金)。なぜかこの日が初公開ーー七社御影(八幡垂迹神曼荼羅図)が私を呼んでいたようである。日も暮れて薄暗くなった長い石段を急いで登った。
    本殿拝観料1000円を払うのは商業主義に屈するようで、やや不本意であったが何事も百聞は一見に如かずとも言う。本殿左横に武内宿禰命(武内社)が祀られていたことにまず驚いた。高良玉垂命と武内宿禰命は異なるとの思いを強くした。
    説明によると石清水八幡宮では姫大神=宗像三女神、こちらは同一と見ているようである。高良神社との関係を質問すると、詳しいことは分からないとのこと。古くから八幡市の産土(うぶすな)として地元の人から守られてきたらしい。

    そして、高良玉垂命と武内宿禰命は別神であるという考えは持っておられるようであった。それを証明するかのような絵が1枚、この日初公開となっていた。「七社御影(八幡垂迹神曼荼羅図)」である。
    写真撮影禁止のためお見せできないのが残念であるが、そこには七体の神様が描かれている。中央最上段に八幡大神、右列の上から神功皇后、若宮、武内宿禰。左列の上から姫大神、若宮殿、高良明神。(『神仏分離史料』による)
    これを見ても明らかに高良玉垂命と武内宿禰命は別神である。見えざる導きによってこの結論にたどり着いた。やはり「すこしのことにも、先達はあらまほしき事なり」である。

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【2018/05/11 10:57 】 | 高良神社の謎 | 有り難いご意見(0)
龍馬脱藩の道は古代官道?ーー3つの鈴権現
    武藤致和編『南路志 闔国之部 下巻』の高岡郡の項に、次のようなメモの張り紙があったことが記録されている。

檮原村
(張紙)
延喜式兵部条
頭駅五埼丹治川
五埼は今の檮原ならん
谷地志篇に説あり(公文)

    谷秦山による「五埼=檮原説」があるとのことだが、まだ目にしたことがない。通説では古代官道の駅家として丹治川駅(通説では立川)とともに新設された五埼駅は、かつての吾橋荘すなわち現在の本山町付近に比定されている。この北山越えルートから大きく外れるとは考えにくい。
    ただし、古代官道が檮原を通っていた可能性はないわけではない。

○舟戸村に鈴権現(ミツキ山)ーー駅鈴に関係?
○羽山谷村(舟戸之内)今書半山ーー現在の葉山、早馬(ハユマ)すなわち駅家関連地名。
○白山権現(ムマセキ)・三所権現(馬セキ)ーー須崎市との境付近に「馬関」地名が残る。
○三ツ又村(大野見之内)に鈴権現(高山)ーー駅鈴に関係?
    これらに加え、高岡郡の郡家比定地と推定される佐川町永野にも鈴神社(元 鈴権現)が存在する(鈴神社は駅鈴と関係があるか?)。
    龍馬脱藩の道として有名になった佐川・津野山・檮原ルート(現在の国道197号線付近)は、もしかして野根山官道(718年)以前の古代官道だったのではないか?
    ちなみに岐阜県の南宮大社(美濃国一宮)には駅鈴が保管されており、毎年11月3日には公開される。レプリカではなく、実際に使用されていたものであることを先日、案内所で確認してきた。


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【2018/05/11 00:25 】 | 古代南海道を探せ | 有り難いご意見(0)
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