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 久留米市の犬塚幹夫氏の調査によると、単弁十三弁蓮華文軒丸瓦が出土する遺跡は、次のように筑前・筑後を中心として北部九州に分布しているという。
鴻臚館跡(福岡市)
筑後国分寺跡(久留米市)
堂ヶ平遺跡(八女郡広川町)
太宰府史跡(太宰府市)
宝満山遺跡(太宰府市)
浄妙寺(榎寺)跡(太宰府市)
筑前国分寺跡(太宰府市)
菩提廃寺(福岡県京都郡みやこ町)
豊前国分寺跡(福岡県京都郡みやこ町)
 古田史学の会代表・古賀達也氏は「十三弁花紋は九州王朝の家紋」ではないかと推定している。その根拠として、高良玉垂命の家系の一つ、稲員(いなかず)家の家紋が菊だったと伝えられ、皇室の十六弁の菊とは異なり、十三弁の菊だったとのこと。
 実はこの十三弁菊紋(蓮華文)軒丸瓦が高知県からも出土している。何かつながりがあるのだろうか。江戸時代の国学者・鹿持雅澄(1791‐1858年)の『土佐日記地理弁』に、次のように書かれている。
 和名抄ニ、土佐ノ国国府在長岡ノ郡ト見ユ、コノ長岡ノ郡日吉村ニアリ、其日吉村ハ、イニシヘハ、江村ノ郷ニ属タルナルベシ、和名抄ニ、長岡ノ郡江村〔衣牟良〕トアリ、土佐ノ郡今ノ高智城ヲ東ニ距ルコト、今道二里余ナリ、国府ノアリシ跡ヲ、里俗内裏屋敷ト称リ、又ソコニ、内裏グロト云伝フル所アリ、紀子旧跡ノ碑ソコニ建リ、コノ内裏グロノ西ヲ瓦畑ト云、ムカシ古瓦多ク出ケルニヨリテ、カク云リ、今ニ瓦ノ小片、マゝ出ルコトアリ、其中ニ菊紋ノ瓦甚稀也、イヅレモ布目アリテ、今ノ製ニ異ナリ、ソコヨリ東一丁余ニ、御門前ト云処アリテ、当昔国府ノ門、ソコニアリシト、(下略)
 土佐国府跡の紀貫之が住んでいたとされる場所が内裏と呼ばれ、記念碑が建っている。『土佐日記地理弁』によると、内裏ぐろの西を瓦畑といい、そこから古瓦が多く出土している。その中に十三弁菊紋瓦があったと記録されているのだ。
 「ぐろ」というのは土を盛り上げたところで、『長宗我部地検帳』の「長岡郡廿枝郷衙府中・国分地検帳」には、
タイリ中ニツカアリ   二郎三郎作
一所壱反 出六代四分中 同(観音寺分)
 と書かれており、「ツカアリ(塚あり)」との表現に対応している。内裏という区画の中に「コフラ」という地名も見える。ここが「内裏グロ」あるいは「ツカ(塚)」があった場所に相当するのではないかと推測する。
 正確な出土地点ははっきりとしないが、『皆山集』にも「其瓦一枚ハ丸ニシテ菊花アリ 〜 辨十三アリ」と記録され、土佐国分寺付近から出たものと考えられている。いずれにしても国府近辺であることには相違ない。土佐国府付近から出土した十三弁菊紋軒丸瓦は九州王朝との関係があるのだろうか。それとも単なる偶然なのだろうか。さらに検証してみたいところである。


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 大学時代に『「邪馬台国」はなかった』(古田武彦著)を読んで、夜寝られなくなりました。古代史に関心を持つようになったきっかけです。
 算数・数学・理科・社会・国語・英語など、オールラウンドの指導経験あり。郷土史やルーツ探しなど研究を続けながら、信頼できる歴史像を探究しているところです。
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