『魏志倭人伝』に記述されている侏儒国について、いつの間にか「侏儒国=種子島」説が主流となりつつある現状を知った。「石田泉城 古代日記 コダイアリー」における論証と低身長の人骨が出土した広田遺跡の存在が、この説を後押ししているであろうことは理解できてきた。ついに“朱儒国民”は種子島へ引っ越ししなければならなくなったか……。けれども、荷物をまとめる前に解決しなければならない疑問がいくつかある。それからでも遅くないであろう。
石田泉城氏とは「古田史学の会・東海」でお会いしたこともあり、『魏志倭人伝』の深い理解と古田史学の方法論による新たな論証の数々。大変参考になり、勉強させて頂いている。「侏儒国=種子島」説の論証についても分かりやすく、素人目にも納得しやすい印象を受けた。石田説を尊重しつつも、いくつかの疑問を投げかけてみたい。
まずは侏儒(朱儒)国に関する『魏志倭人伝』と『後漢書』の記述を併記しておく。
「女王國東渡海千餘里 復有國 皆倭種。又有侏儒國在其南 人長三四尺 去女王四千餘里」(『魏志倭人伝』)
「自女王國南四千餘里至朱儒國」(『後漢書』)
疑問①:「其南」の「其(その)」は女王國を指すのか?
石田氏は「其」の使われ方について、「直前の国の人のことを指さず、主題となっている国」を指していることを『後漢書』から例示し、「其南」はすなわち「女王国の南」と解釈している。しかし、『魏志倭人伝』の行程記事中には「至對海國 其大官日卑狗」のように、「其」が直前の国を指している例も見られる。直前の「復有國 皆倭種」を指していると解釈するのは自然なのではないか。ただし、『後漢書』の范曄(はんよう)は「女王国」と解釈し、自分の文章を再構成している。
疑問②:『後漢書』の「四千余里」は短里表記なのか?
『魏志倭人伝』の里単位は1里=約76mとする「短里」が使用されていたことが各方面からの論証によって明らかとなっている。しかし、范曄はそれを知らずに『魏志倭人伝』を基本資料としながら『後漢書』を書いた可能性がある。「会稽東治(ち)」→「会稽東冶(や)」の書き換えなど、誤読による范曄の錯覚があったことは、『「邪馬台国」はなかった』で古田武彦氏も指摘している。『後漢書』が書かれた5世紀にはすでに短里は使用されていない。范曄が侏儒(朱儒)国についての正確な情報を持っていたなら、長里で表記したであろう。そうでないとしたら、『魏志倭人伝』の焼き直しの文章であり、尊重すべきは『魏志倭人伝』の本来の記述のほうである。ちなみに、『後漢書』の「自女王國東渡海千餘里至拘奴國 雖皆倭種而不屬女王」も『魏志倭人伝』の文をベースとしながらも内容を変えている部分である。古田氏は電話のやりとりで、合田洋一氏から「『後漢書』の千餘里は長里でなければなりませんよ」との指摘により、拘奴(狗奴)國を畿内の銅鐸圏の国に比定する説を打ち出している。
疑問③:身長140~150cmを「人長三四尺」は誇張ではないか?
広田遺跡は、種子島の南部、太平洋に面した全長約100mの海岸砂丘上につくられた集団墓地である。昭和32年から34年にかけて遺跡の調査が行われ、合葬を含む90ヵ所の埋葬遺構から158体の人骨が出土した。埋葬された人骨を調べた結果、広田人は、身長が成人男性で平均約154㎝、女性で平均約143㎝しかなく、同じ頃の北部九州の弥生人(成人男性で平均約163㎝、女性で平均約152㎝)と比べても、極めて身長が低い人々であることが分かったという。
この考古学的な成果は重視するべきであるが、身長140~150cmを「人長三四尺」と表記するのは、かなりの誇張があるのではないだろうか? 一尺=約25cmとしても75~100cm程度である。『魏志倭人伝』はかなり正確で信頼性の高い記述がなされていたことが古田氏の史料批判によって論証されている。身長140~150cmなら本来は「人長五六尺」とすべきではないか。
以上のように「侏儒国=種子島」説はまだ確定したわけではない。『後漢書』の記述に対する史料批判をしっかりと行いつつ、上記の疑問などについても十分に検討する必要があるのではないだろうか。広田遺跡の存在によって「侏儒国=種子島」説があたかも実証されたと思わせる雰囲気になりつつあるが、「学問は実証より論証を重んじる」のであれば、疑問①~③などの問題点を矛盾なく解決することが望まれる。
この考古学的な成果は重視するべきであるが、身長140~150cmを「人長三四尺」と表記するのは、かなりの誇張があるのではないだろうか? 一尺=約25cmとしても75~100cm程度である。『魏志倭人伝』はかなり正確で信頼性の高い記述がなされていたことが古田氏の史料批判によって論証されている。身長140~150cmなら本来は「人長五六尺」とすべきではないか。
以上のように「侏儒国=種子島」説はまだ確定したわけではない。『後漢書』の記述に対する史料批判をしっかりと行いつつ、上記の疑問などについても十分に検討する必要があるのではないだろうか。広田遺跡の存在によって「侏儒国=種子島」説があたかも実証されたと思わせる雰囲気になりつつあるが、「学問は実証より論証を重んじる」のであれば、疑問①~③などの問題点を矛盾なく解決することが望まれる。
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プロフィール
HN:
朱儒国民
性別:
非公開
職業:
塾講師
趣味:
将棋、囲碁
自己紹介:
大学時代に『「邪馬台国」はなかった』(古田武彦著)を読んで、夜寝られなくなりました。古代史に関心を持つようになったきっかけです。
算数・数学・理科・社会・国語・英語など、オールラウンドの指導経験あり。郷土史やルーツ探しなど研究を続けながら、信頼できる歴史像を探究しているところです。
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