石岡八幡宮境内の右手奥、高良神社が祀られている。この裏側は椿の群生地であり、祭ヶ岡古墳がある。社地を古くは「橘の島」と言っていたことや神功皇后の伝承などが案内板に書かれている。 「愛媛県の高良神社①ーー伊豫岡八幡宮 境内社」もそうであったが、古墳のある場所に立地していることから歴史の古さがうかがえる。さらにこの二社は高縄半島の付け根に相当し、重要な共通点がある。重信川河口付近と中山川河口付近という共に古代における港の立地条件に適した場所だということだ。石岡神社は熟田津の比定地にも近い。 石岡神社の由緒として「孝元天皇の曾孫で、景行天皇から仁徳天皇までの五代帝の長臣で、とくに仲哀天皇薨去の後は神功皇后を支え、また応仁天皇(八幡神)を守り育てた大臣で、高良神社の主祭神である竹内宿祢の子孫紀氏玉井」が石岡の地で八幡宮を鎮座奉祀してきたことが案内板に書かれている。 『古事記』『日本書紀』の記述を元にした表向きの説明はそうだとしても、その頃は九州王朝を中心とした倭国の時代だと考えられるので「盗まれた神話」(九州王朝の事績が日本書紀に取り込まれた)の原典が誰を主人公として描かれていたかの解明が必要なのだ。 紀姓玉井氏の系図からの引用も紹介してあり、高良神社が八幡宮の摂社として祀られている表向きの理由は分かってきたが……。 PR |
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