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「古記云、春時祭田之日、謂国郡郷里毎村在社神。人夫集聚祭。若放祈年祭歟也。行郷飲酒礼、謂令其郷家設備也。一云毎村私置社官。名称社首。……」 古記は大宝令の注釈書で738年(天平十)ごろの成立とされる。『令集解』所引古記が引用する一云によれば、村ごとに神社があり、社首(しゃのおびと)という祭祀者がいて、あたかも地方自治の一翼を担う行政機関のようである。大和朝廷の神祇令によると一般的には祝(はふり)であり、社首は他に見られない。もしかしたら九州王朝時代の制度が、のぞき見えているのかも知れない。 この一村一社とも言うべき制度は、古代中国の社に遠源を持つのではないかとさえ思われる。『古代中国の社―土地神信仰成立史』(エドゥアール・シャヴァンヌ著、菊地章太訳注、2018年)を読むと、古代中国の社と日本の神社との類似性が見えてくる。 周・漢の時代に家25軒で里とし、一社を置いている。日本の律令制ではその倍の五十戸を里(さと)としている。いわゆる産土(うぶすな)神とされる村社のルーツが、単に自然発生的なものではなく、行政的な色彩が少なくなかったように思われる。
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