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勉強は「すべき」か「するべき」か?――方べきの定理
 「勉強は“すべき”でしょうか。それとも“するべき”でしょうか?」
 日本語の使い方にブレがありますが、この場合どちらが正しいのでしょうか。生徒から「すべきです」とか「するべきだと思います」という意見が出た時には、そのまま肯定してあげましょう。
 「その通り。勉強はした方がいいですね」
 中にはあまのじゃくな生徒もいたりして、「どちらでもありません」などの発言もあります。そんな場合でも肯定的に受け止めて、「その通りです。しなければならないものではなく、勉強はしたくてするのが一番ですよ」。まさに、"好きこそものの上手なれ"である。


 前振りが長くなってしまいましたが、今日は「方べきの定理」について勉強します。方べきの定理の「方」とは何のことでしょうか? 昔から、「水は方円の器に従う」という言葉があります。水は四角い器に入れれば四角くなるし、丸い器に入れれば丸くなるということで、自分を主張せず周りに自分を合わせて変化することができます。また、歴史の授業で「前方後円墳」が出てきたのを覚えているでしょう。円は丸い形で、方は方形すなわち四角を表します。
 「べき」とは何でしょうか? 漢字では「冪」と書きます。累乗あるいは掛け合わせたものを表します。つまり「方べきの定理」とは2本の弦の交点から四方の円周上の点までの距離を掛け合わせた2組の積が等しくなるという定理です。
 話は変わりますが、NHKのBSプレミアム『英雄たちの選択』で歴史家・磯田道史さんが2つの「べき論」を紹介していました。1つは過去の習慣性から来る「こうあるべき」。もう1つは「これから日本はこうあるべき」という考え方。そして過去に囚われた「こうあるべき」はいつも負けていると言及していました。
 さすが歴史家だけあって鋭い洞察、いや見識というべきでしょうか? スペンサー・ジョンソン 著『チーズはどこへ消えた?』( 門田美鈴訳、扶桑社、2000年11月)を思い出してしまいました。この本は「新しい価値観を探して行動を起こすことの大切さを教えてくれる本」と評価されていますが、私たちは意識するとしないとに関わらず、多くの場合、過去からの囚われに縛られているものです。その囚われを無くすことで、思いもよらない発見ができることが多いのではないでしょうか。
 最近は囲碁界でもAIが導入されました。ケイマ掛かりにコスミ付けや序盤での三々入りなど、かつてプロ棋士が「こう打つべきではない」と指導してきた手を、AIがどんどん打ち出すようになって、将棋界と同様、囲碁の定石が急速に変わってきています。
 そういえば以前、似たような話を「AI将棋ボナンザが教えてくれたもの」というタイトルで書いていました。これからの私たちはどのようにあるべきなのでしょうか?



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【2019/09/06 12:06 】 | おもしろ授業 | 有り難いご意見(0)
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