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 『古代国府の成立と国郡制』(大橋泰夫著、2018年)の目次は以下の通り。
 序章 国府成立をめぐる諸問題/各地における国府の検討(東海道/東山道/北陸道/山陰道/山陽道/南海道/西海道)/国庁の構造(政庁と長舎/長舎を用いた政庁の成立/7世紀以降の大極殿院・朝堂院/長舎を多用した政庁から定型化国庁へ/国庁・郡庁の祖型/長舎の出現と政庁建物の構造/国庁と駅家)/国府事例の検討(出雲国府成立と出雲国の形成/常陸国府と台渡里官衙遺跡群の成立/下野国府成立と下野国の形成)/国府成立の総括的検討(国庁・国衙の成立と存続期間/郡衙代用説・国司館代用説の検討/国庁の成立/瓦葺建物からみた国府の整備/国府成立と前身官衙/文献・出土文字資料と国府成立)以下細目略/付論1 地方官衙と方位/付論2 地方官衙成立期の瓦葺建物/結語 国府成立と国郡制

 「著者は国府の成立を7世紀末~8世紀初めと考えて、国郡制形成の中で大きな意義を認めている。しかし、このように考える意見は少なく、全国的に国府が独立した官衙施設として設置されるのは8世紀第2四半世紀以降であるという説が有力である」としており、山中敏史氏の研究によると「構造の違いや所在地において断絶を示す例(筑後国古宮Ⅱ期官衙、仙台市郡山遺跡Ⅱ期官衙)がある点から、8世紀前半以降の国府との間に質的な大きな違いを考えた」とあるように、7世紀と8世紀の間に第一の画期があることを指摘している。
 文献的には『日本書紀』の記述を根拠に、7世紀以前にさかのぼらせたい説もあるようだが、発掘調査が示す大和朝廷による中央集権的国府成立の画期は、やはり大宝律令前後であったと見るべきだろう。

 それを裏付ける内容が「付論1 地方官衙と方位」にデータとして紹介されている。地方官衙や国府に正方位が採用されたのが、ほぼ一律に8世紀以降となっている。7世紀後半の評衙とされる遺跡の多くは正方位を採用せず、規格性が乏しいとされる。ここに九州王朝と大和朝廷との統治体制の差異が表れているように見える。
 やはり701年を旧王朝(old:九州王朝)と新王朝(new:大和朝廷)との画期である「ONライン」とする古田武彦氏の指摘が妥当であったことが分かる。


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 大学時代に『「邪馬台国」はなかった』(古田武彦著)を読んで、夜寝られなくなりました。古代史に関心を持つようになったきっかけです。
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