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 水質日本一を何度も獲得している“奇跡の清流”仁淀川。映画『竜とそばかすの姫』では、主人公すずが通学で通る橋のモデルとなった「浅尾(あそう)の沈下橋」、重要シーンで登場した広い河原と橋のモデルとなった「波川公園」など、仁淀ブルーの魅力の数々が垣間見られる。
▲仁淀川にかかる名越屋(なごや)沈下橋

 その仁淀川下流左岸の堤防と用水路に挟まれた高知市春野町の一画に、鳥居が3つ横に並んでいる場所がある。西から順番に旧郷社、川窪の八幡宮(高知市春野町弘岡上3413-ロ)、境内社の竈神社と神明宮が鎮座する。八幡宮の祭神は応神天皇であり、大山祇命(山神社)ほか3神<(少童命(海津見神社)・天忍穂耳命(王子神社)・木花咲耶姫(大山神社)>を合祭している。
▲左が竈神社、右は神明宮

 明治時代末の神社合祀については、アニメ『刀使ノ巫女(とじノみこ)』でも触れられているが、村社や無格社などの小社が地域の中心的な郷社に合祭され、一村一社を目指して整理されていった。八幡宮に合祭されている4社はその時の政策によるものだろうか。

 しかし、境内社2社については、もっと歴史が古そうな印象を受ける。最も小さな祠ながら竈神社は3つ並びのセンターに位置している。鳥居もほぼ並列で格の違いを感じさせない。あたかも大分県の宇佐神宮において、応神天皇でなく比売大神が中央(二之御殿)に祀られていることを連想させる。

 『高知県神社誌』(竹崎五郎著、昭和6年)によると、高知県内の竈戸神社の総数は260社を超える。一部が村社で大半は無格社であったが、その数の多さに驚かされる。もちろん昭和初期の資料なので、数が減っていることは十分考えられるが、県内どこの市町村に行っても一定数の竈戸神社が存在しており、かなり高い割合で残されているようだ。
 神社数の多さは歴史の古さとも相関関係がありそうだ。「竈神を祭る事は我邦では極めて古い所からあったもので、古事記に大歳神が天知迦流美豆姫を娶って生んだ子の中、奥津日子神、奥津比売神の二神が即ち諸人の拝する竈であるといふ事になって居る」(『神道史』清原貞雄著、1941年)とあるように、竈戸神社は奥津日子神・奥津比売神の二神を祭神としているところが多い。古く、朝廷では春と秋に、かまどの神をまつる神事として竈祭りを行ったことが「延喜式」(平安時代中期に編纂)にも記録されている。単なる民間信仰ではなかったことが分かるだろう。もしかしたら平安時代以前にルーツを持つ可能性すら見えてくる。
 『鬼滅の刃』三大聖地である九州の竈門神社<①宝満宮竈門神社(福岡県太宰府市)、②溝口竈門神社(福岡県筑後市)、③八幡竈門神社(大分県別府市)>など、他県の事例とも比較検討しながら、より深く竈神について考察していく必要があるかもしれない。


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『探訪―土左の歴史』第19号 (仁淀川歴史会、2023年6月)
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 大学時代に『「邪馬台国」はなかった』(古田武彦著)を読んで、夜寝られなくなりました。古代史に関心を持つようになったきっかけです。
 算数・数学・理科・社会・国語・英語など、オールラウンドの指導経験あり。郷土史やルーツ探しなど研究を続けながら、信頼できる歴史像を探究しているところです。
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