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 父方の祖母は田尻姓で、学歴についてはよく知らないが、祖母を知る人は一様に「学のある人であった」と言っていた。筑後の一宮・高良大社の宮司家の一つが田尻家なのだと聞いたことがある。つながりがあるかどうかは定かではないが、私がこれほど「高良神社の謎」を追いかけるようになったのも、何かの縁かもしれない。さらに漢の高祖劉邦に連なるとする大蔵姓田尻氏正統系譜(肥後国玉名郡玉水村立花田尻家系譜)の登場によって、ルーツ探しのほうも新たな展開を見せることになった。ただし、家系図は単独では史料的根拠にすることは難しいとされているので、その扱いは慎重を要する。
 さて、前回「岡豊別宮八幡宮の境内社に高良神社は実在した」というタイトルで境内社の一つ「瓦ノ宮社」が高良神社であったことを報告した。その岡豊別宮八幡宮から東へ6kmほど行ったところ、物部川の西岸に川原神社(南国市福船字寺屋敷)が鎮座する。ずっと気になっていた神社である。一般的には川原近くにあるから川原神社とされてきたが、あまりにも安易すぎないだろうか? 

川原神社

 旧岩村郷福船村舟渡、戸板島村、京田村の一部、蔵福寺島村の産土神で、旧村社。祭礼時當家に決まった節数のおはけ竹を立てる。現在のおなばれは一の鳥居(御旅所)間を往復する。台輪鳥居、狛犬、手水石鉢、石燈籠、百度石、中世石仏、五輪塔残欠がある。北側の墓地内にも中世石造物が見られる。
 今年(令和元年度)の「川原神社秋祭り神事」のお知らせが拝殿に貼り出してあった。11月1日(金)午後1時30分~となっている。『南路志 第二巻』には香美郡の福田村(岩村郷)のところに「川原大明神 川原宮 本地決主菩薩 祭礼九月九日」と出ている。

 川原宮(かわらのみや)と言えば、斉明天皇の板蓋宮が火災に遭ったので一時的に遷居した宮が川原宮であった。翌年、後飛鳥岡本宮(のちのあすかのおかもとのみや)を設けてそこに移っており、川原宮跡が川原寺になったとされる。
 これに対して、斉明天皇は大和朝廷の天皇ではなく、九州王朝の天子であり、伊予に行宮があったとするのが合田洋一氏の説である。詳しくは著書『葬られた驚愕の古代史 越智国に"九州王朝の首都"紫宸殿ありや』を参考にしてほしい。
 もとより、高知県の川原神社を斉明天皇に結びつけるつもりはない。県外にも川原神社という名の神社が複数存在しているようだが、かつて高良神社は「瓦ノ宮」「川原社」などと呼ばれていたことがあった。多くはその名残りであろうと推測する。
 田尻の祖母が時折言っていた。「磨かざりせば光ある玉も瓦に等しからまし」ーー高良神社(祭神:高良玉垂命)としての由緒が失われてしまった川原社は、土佐弁風に言えば「瓦にかあらん」(瓦と大差ない)ということになってしまったのではないだろうか。


参考:南国市福船周辺
https://youtu.be/A_5R8dWLKCA

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 大学時代に『「邪馬台国」はなかった』(古田武彦著)を読んで、夜寝られなくなりました。古代史に関心を持つようになったきっかけです。
 算数・数学・理科・社会・国語・英語など、オールラウンドの指導経験あり。郷土史やルーツ探しなど研究を続けながら、信頼できる歴史像を探究しているところです。
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