これまでの調査で、安芸郡田野町の田野八幡宮および安田町の安田八幡宮境内社・若宮神社、さらには安田城跡の城八幡宮にも高良玉垂命(こうらたまたれのみこと)が祀られていることが明らかになった。いずれも高良神社ではないものの、高知県東部の安芸郡が高良玉垂命祭祀の密集地帯となっていたことが判明してきたのである。
そして安芸郡の「高良玉垂命=與止比賣」説がどうして生まれてきたのか? その根拠の1つが川上神社の存在ではないかと推察する。安田川をさかのぼり、「ゆずぽん」でお馴染みの馬路村に向かう中間地点あたりに川上神社が鎮座する。田野八幡宮や安田八幡宮からするとほぼ北の方角で、さながら奥の院といった位置付けのように感じられる。
『新安田文化史』(安田町、1975年)から川上神社についての記述を紹介しておこう。
川上神社
小川の字明神口にあって、祭神を淀比売神とする。社宝の棟札に「元和十甲子年二月(1624年)当国主松平土佐守豊儀公、代官渡辺九兵衛尉・庄屋安田清右衛門・清岡三良兵衛・森源兵衛・清岡小助・清岡十右衛門・諸百姓中」とあるので、創建年代は相当昔にあることが分かる。以前は川上大明神と呼んだ。社宝に右の棟札の他に、天下一藤原武重の銘の鏡二面がある。
「淀比売神」というのは、肥前国一宮・與止日女神社(よどひめじんじゃ)の祭神「與止日女」のことであろう。一般的には神功皇后の妹とされているが、古賀達也氏(古田史学の会代表)は多面的な考察から、「與止日女=壹與」と比定した。卑弥呼の後を継ぎ、邪馬壹国を導いた女性である。
與止日女神社は、佐賀県佐賀市大和町大字川上1にある延喜式内社であり、旧県社。別名「河上神社」「淀姫さん」などとも呼ばれる。佐賀県を中心とする北九州地方には、與止日女神(淀姫神)を祀る神社が多数あり、そのうち6社が嘉瀬川流域にあるという。
「カセ川」あるいはそれに類する河川名は全国的に見られる。その語源は船を繋ぐ「枷(かせ)」だという。つまり船を繋留(けいりゅう)する川の意である。邪馬壹国の流れをくむ倭国(九州王朝)は強力な水軍を率いていた。その拠点が吉野ケ里および嘉瀬川流域であったと思われる。
「干珠」「満珠」を使い、潮の満ち引きを巧みに操って、敵を翻弄する與止姫伝説は、干満の差が激しい有明海を発祥とする説話ではないか、との指摘もある。
また、『日本書紀』持統紀に31回の吉野行幸が記録されているが、疑問点が多かった。古田武彦氏は『壬申大乱』(2001年)で、「吉野」は大和でなく九州の吉野ヶ里を含む一帯であったとした。実際は白村江の戦い(663年)直前における水軍の視察という九州王朝内の史実を「34年」繰り下げて盗用し、持統天皇の事績として記載したというのだ。
そして佐賀県の嘉瀬川と共通するのが高知県安芸郡の安田川である。古代において安田川河口は湖になっていて、天然の良港であったとの記録もある。また、近くの神峯(こうみね)神社(安田町字塩屋ケ森)は日本で最も古い社に属し、神武天皇東征や神功皇后の伝承も残されている。九州王朝の船団が安芸郡安田の安田川までやって来たと考えても良さそうである。
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大学時代に『「邪馬台国」はなかった』(古田武彦著)を読んで、夜寝られなくなりました。古代史に関心を持つようになったきっかけです。
算数・数学・理科・社会・国語・英語など、オールラウンドの指導経験あり。郷土史やルーツ探しなど研究を続けながら、信頼できる歴史像を探究しているところです。
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