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 「宮ノ原」というと神社関連地名のように見えるが、神社があるからといって、どこにでもこの地名があるわけではない。古来より文教の地とされた高岡郡佐川町庄田の宮ノ原以外に、高知県では香南市夜須町の宮ノ原があり、かつては土佐市戸波(へわ)に本村宮原があった。

 香南市夜須町については『長宗我部地検帳 香美郡 上』(P27)の夜須庄地検帳・宮ノ原に「宮ノ原 弐十代 出三十弐代壱歩 下畠 惣佾給」と書かれている。「佾(いち)」というのは巫女さんのような人であり、必ずしも女性とは限らない。「惣佾」とあるから「佾」をまとめるリーダー格の人物であろうか。
 以前は香美郡夜須村といい、西山宮ノ原には猿田彦神社、伊勢が岡神社(明神様)が鎮座する。この惣佾はどちらかの神社、あるいは西山八幡宮(現・夜須大宮八幡宮)に関係する人物と見られる。
 『和名類聚抄』にも香美郡安須郷が見え、条里制地割も行われていた。『高知県史・古代中世編』によると、夜須庄は平安時代末期に石清水八幡宮宝塔院の荘園となり夜須庄となる。その中心部に鎮座する夜須大宮八幡宮には、その由緒を刻んだ百手碑が立つ。祭神は応神天皇であるが境内社として武内神社を祀る。碑文にも「本社祭應神天皇武内宿禰之神也」と書かれ、共に武神とされている。
 ところが、通常は長寿の神として祀られ、臣下である武内宿禰(武内大臣と表記されることもある)が、「武内宿祢王」として武内神社に祀られているのはどうしたことか。

 『国史大辞典』 (吉川弘文館)によると、高良大社の祭神「高良玉垂命(こうらたまたれのみこと)」が中世以降に八幡神第一の伴神とされたことから、応神天皇(八幡神と同一視される)に仕えた武内宿禰がこれに比定されている。その結果、石清水八幡宮を始めとする全国の八幡宮・八幡社において、境内社のうちに「高良社」として武内宿禰が祀られる例が広く見られる(古賀寿 「高良大社」)ようになったという。
 荘園の鎮めとして永承5年(1050)に勧請された夜須大宮八幡宮は、はじめは千切に仮休座し、出口、西山中村と社地を転じ、最後に現在地(西山馬場崎)に遷座した。「宮ノ原」に近いこの場所には、古くは九州との関係が深い寺社があったのかもしれない。

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 大学時代に『「邪馬台国」はなかった』(古田武彦著)を読んで、夜寝られなくなりました。古代史に関心を持つようになったきっかけです。
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