福岡県で橘氏の末裔とされる宮原氏と出会って、1年近く。やっと橘氏のルーツ探しに足を踏み入れることになった。『土佐史談231号』(土佐史談会、2006年3月)に朝倉慶景氏の「橘系安芸氏と安芸地域について」と題する論考が掲載されている。
まず吉田萬作氏の「橘姓は本家のみに称せられ、分家である畑山氏(後に安芸姓に改む)系統は蘇我姓が継承され、かつ本家橘姓呼称は国虎自刃と共に消滅する訳である」との先行研究を紹介しながら、豊富な史料を精査した上でのいつもながら鋭い分析を加えている。
地頭橘系安芸氏については「室町幕府は安芸地域を支配するため、地頭に橘系安芸氏を任命したと考えられる」とし、南北朝統一後の永享十(1438)年と推定される八月二十二日付け文書では、細川京兆家(管領家)が佐川四郎左衛門尉を討伐するため、土佐国人に対し出陣命令を出した。その中に「安芸備後守」と出ているのが地頭橘系安芸氏の初見史料であるとしている。
また、戦国期の橘系安芸氏については、いくつかの棟札が知られている。「大檀那地頭橘鍋若丸」「大檀那橘元親」など、棟札では俗称安芸氏は用いないで本姓橘を使用している。地頭の橘系安芸氏は元親・元泰・国虎と継がれ、彼を以って国人橘系安芸氏は滅亡した。
結論として「地頭で橘姓を名乗る安芸氏は暦応三(1340)年ではまだ安芸荘に居住していなかったと考えられる。つまり橘系安芸氏は蘇我系の家筋とは異なるのである」とした。すなわち古代安芸地域の郡司の流れを汲む蘇我系の家筋と戦国期栄えた橘系安芸氏の両家筋は異なるーー通説を正す明快な指摘が出されている。
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大学時代に『「邪馬台国」はなかった』(古田武彦著)を読んで、夜寝られなくなりました。古代史に関心を持つようになったきっかけです。
算数・数学・理科・社会・国語・英語など、オールラウンドの指導経験あり。郷土史やルーツ探しなど研究を続けながら、信頼できる歴史像を探究しているところです。
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