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 2018年11月11日「古田武彦記念古代史セミナー2018」で中村通敏氏から「郭務悰はどこにいたのか」との論考が発表された。その詳しい内容は「白村江の戦いのあとの唐軍の代表者郭務悰と壬申の乱について」とのタイトルでネット上で閲覧することができる。
 その論考の中で、唐の進駐軍の代表であった郭務悰が「多良」の地にいたとし、その場所を佐賀県藤津郡太良町に比定。その地理的条件を詳しく説明している。
 古田武彦氏は『日本書紀』に頻出する吉野を佐賀県の吉野と比定し、その延長上に「郭務悰の多良滞在説」を出されていたが、中村氏の論考によってさらに補強されることとなった。
 しかし、疑問がないわけではない。①佐賀県藤津郡太良町に7世紀にさかのぼる歴史があるか。②唐軍が駐屯できる基盤があるか。ーーなどの点である。②については中国系の渡来の伝承や物証などが残されているなら申し分ない。
 テーマとなっているのは『万葉集』第27番の天武天皇歌〔淑人(よきひと)の よしとよく見て 好(よ)し言ひし 芳野吉(よ)く見よ 多良人(たらひと)よく見〕に登場する「淑人(よきひと)」と「多良人」(一般的には「多」→「与」と原文改定されている)の解釈である。
 「よきひとのよし」と始まれば熊本県民であれば、まずは人吉が浮かぶのではないか? そして最後に「多良」と来れば多良木? 
 ホームページ「歴史とロマンの里 多良木町」には次のように説明してある。

 多良木町には1万年以上前の旧石器時代の遺物や縄文・弥生時代の遺物が出土しています。1100年前に編集された百科事典(和名類聚抄:わみょうるいじゅしょう)には、球磨郡に六つの郷があり、このうちの東村郷・久米郷が多良木町内にあったとされています。

 人吉郷も球磨六郷の一つであるが、多良(木)という地名が当時から存在していたかは定かではない。ひろっぷさんのブログ『古代・中世・近世の繋がり先祖について』によると、熊本県南部の球磨地方は考古学的出土物が豊富で古い歴史を持つこと、呉とのつながりが深いことなどを伺い知ることができる。また、多良木町には王宮神社や池王神社といった由緒ある神社が鎮座する。
 もしかして「多良人」とは多良木町に祀られている高貴な人物を指しているのではないか? 古田説では佐賀県の太良町にいた郭務悰とする。太良町は合併前は多良町であり『和名類聚抄』にも「肥前国藤津郡託羅(たら)郷」と出ている。
 これに対し、ブログ『九州王朝「倭国」は、なぜ “根こそぎ・東遷” したか』のtohyanさんなど、多良人を唐から帰国した薩夜麻(さちやま)ではないかとする説も出されている。その薩夜麻の本拠地はどこだろうか。 
 球磨地方は薩摩とのつながりが深く、球磨の「磨」は本来「麻」から来ているという由来を知り、多良を球磨郡多良木町に比定することで薩夜麻の字義とも全てつながる……。しかし薩夜麻は筑紫の君であり、筑紫はあくまでも福岡県であって九州島との拡大解釈はできないとされている。
 そもそも『万葉集』第27番の歌には「天皇幸于吉野宮時製歌」との説明が付けられており、天武天皇と結びつけることは当然のようだが、要注意である。古田氏自身が『古代史の十字路 万葉批判』(2012年)の中で、「歌そのものが直接史料であり、第一史料である」とし、説明は後付けされたものがあることを警告している。
 まずは歌有りきなのである。第27番の歌に「芳野」が登場するので天武天皇と結び付けられた可能性がある。もしかしたら天武天皇や郭務悰とは全く無関係に詠まれた歌だったのではないか。その可能性も含めて、原文を尊重した多元的な解釈に立ち返ることが必要かもしれない。


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塾講師
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将棋、囲碁
自己紹介:
 大学時代に『「邪馬台国」はなかった』(古田武彦著)を読んで、夜寝られなくなりました。古代史に関心を持つようになったきっかけです。
 算数・数学・理科・社会・国語・英語など、オールラウンドの指導経験あり。郷土史やルーツ探しなど研究を続けながら、信頼できる歴史像を探究しているところです。
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