高知県下に分布する「コウラ」地名の多くは「高良神社由来」地名であるとの仮説を当ブログで紹介してきた。ところが、地名辞典などではほとんど「強羅(ごうら)」の変形と見て、「岩石の露出している小地域」と説明している。『日本の地名 60の謎の地名を追って』(筒井功著、2011年)でも柳田國男説を踏襲しているようであった。 将棋では「数多ければ勝つ」という格言もあるが、学問の世界では、沢山の本にそう書いてあるから正しいとは限らない。その原点が柳田國男の説のみに拠っており、その検証をおろそかにして、偉い人が言っているから間違いないというのは思考停止である。そこで“柳田國男の「強羅(ごうら)」は……”で紹介した「強羅」地名の出典に当ってみた。 『柳田國男全集20』(柳田國男著、1990年)の164ページに次のように説明されている。 一八 強羅
柳田國男は「西国の二地は人によってコの字を澄んで呼ぶのかも知れぬ」と言っているが、九州を中心とする西日本では圧倒的に「コウラ(高良)」地名が多いので、濁らないほうが主流であることはうなずける。 また「土佐にはことにゴウロという地名が多い」と言及してくださっていることは嬉しいことではあるが、果たしてそうであろうか。たしかに『長宗我部地検帳』には「ゴウラ」「コウロ」なども記録されている。全数調査はできていないが、これまでの拾ってきた感覚からすると「コウラ」「カウラ」のほうが多いように感じる。私が「高良神社由来」地名としているものである。それをも「ゴウロ」系地名に含めているとしたら、確かに多いということになるだろう。しかしこれらは別系統地名として分けて考えるべきではないだろうか。 また、「ゴウラ」地名についても、和歌山県東牟婁郡古座町姫字ゴウラに関しては三角州性低地として「河川の土砂が河口付近に堆積して形成された平野部分」といった場所もあるので、単に「岩石の露出している小区域」との説明だけでは不十分かもしれない。
柳田國男の説も特定の地名については的を射ているかもしれないが、こと西日本においては「高良神社由来」地名はかなり汎用性があり、高良神社の鎮座地が「高良」地名で呼ばれている。徳島市の高良神社が鎮座する2か所(応神町古川と飯谷町)の「高良」はその代表的な例だ。その観点抜きで大家の説のみに従っていては真実は見えてこないのではないかと考える。 これまでにブログ内で紹介したコウラ地名については、次の表にリンクをつけてまとめておく。
PR |
|||||||||
|