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 土佐国分寺から素弁の軒丸瓦が出土しているかどうかが大問題となっている。土佐国分寺の創建は定説では8世紀とされていることから、てっきり素弁瓦の出土はないという先入観があった。逆に素弁蓮華文軒丸瓦が出土していれば7世紀創建という年代比定がなされるはずである。高知市の秦泉寺廃寺が7世紀に創建された土佐国最古の白鳳寺院と比定された背景にも素弁蓮華文軒丸瓦の出土が一つの根拠となったからだ。
 それがどういうわけか、土佐国分寺からも素弁蓮華文軒丸瓦が出土しているという情報が、多元的「国分寺」研究サークルの調査によって明らかになってきた。『新修 国分寺の研究 第5巻上 南海道』(角田文衛編、1987年)P317に収録された一番下の第171図に「土佐国分寺素弁蓮花文鐙瓦(『土佐史談』65号より)」とある。
 この軒丸瓦の図についてはどこかで見た覚えはあったが、不明瞭で素弁という認識は持っていなかった。ところが、岡本健児著『比江廃寺と土佐国分寺の古瓦について』には、次のように説明してあった。
4、素弁蓮華文鐙瓦
 素縁で、素弁の蓮華文が十二弁ある。中房には蓮子七個を入れているもので、その径は小さい。出土数は他の種類の鐙瓦と比べて少なくない。現品は失われて拓本がとれないので、これのみ図示しなかった。石田茂作博士の『奈良時代文化雑故』と土佐史談六五号に図示してある。
 『土佐史談 第65号』といったら、前回取り上げた田所眉東氏の論考「土佐国分寺古瓦に就て」(“一元史観による地方の編年50年ずれ”参照)に掲載された図で、『高知県史 考古資料編』(高知県、1973年)にも所収された。その際、「瓦の編年に問題がある」との編者注がなされているものの、どのような問題があるのかは明示されていない。この外にも素弁十六葉蓮華文および単弁・素弁を併せ持つ特殊な八弁の軒丸瓦が出土してるようだ。
 これまでONラインのN側(701年以降)とばかり思い込んでいて、探求対象としてあまり食指が動かなかった土佐国分寺であったが、もしかしたらO側(700年以前)の創建の可能性さえ見えてきた。いくつかの問題点を内包しつつも、土佐国分寺出土の素弁蓮華文軒丸瓦はあったようだ。

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