スポーツ好きの人なら、「ONライン」といえばコースギリギリに入って得点が決まること。昔の巨人ファンにとっては、王貞治~長嶋茂雄のことを連想する方もいるだろう。だが、現代人の感覚ではインターネットでつながることや、ONラインゲームといったイメージが強いかも知れない。 前置きが長くなってしまったが、古代史において「ONライン」とは何か? 古田史学を学ぶ者でなければ、あまり聞き慣れないと思うが、701年旧王朝(old)と新王朝(new)の政権交代の画期のことを指す。そんなことは歴史の授業で習ったことはないと言うかも知れない。その通り。学校では教えていないことである。それでも701年の大宝律令のことくらいは聞いたことがあるだろう。これをもって律令制度の始まりとされるが、ここからが中心王朝としての実質的な畿内大和朝廷のスタートだというのだ。 ならば、それ以前の旧王朝とは何のことか? ズバリ九州王朝のことである。その首都が太宰府であったことも分かってきている。詳しい論証は避けるが、九州年号の存在や評制度など、大和朝廷以前に制定されている事柄が多く知られてきている。その九州王朝も700年で完全に終焉したというわけではなさそうだ。百済(ペクチェ)が滅亡した後もしばらく復興勢力が存続したように、8世紀に入っても九州王朝の制度が一部残されていたらしい。 話は変わるが、ある私立中高一貫校では中学からの持ち上がり組をOP(old power)、高校からの入学組をNP(new power)と呼んだりする。この2者の間にもONラインなるものが存在する。既に中学で高校1年までの学習を済ませたOPと、後追いで高校の内容を学ぶNP。その差を埋めるのは並大抵のことではないが、時としてウサギと亀のような逆転劇が起こるから、「事実は小説よりも奇なり」である。古代史の隠された事実が陽の目を見る逆転劇もそう遠くないことを祈る。 PR |
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