つい最近、大学時代以来の恩師が「支那の夜」という歌を愛唱しておられたことを知った。私が生まれる以前の時代であろうか。 「支那の夜」1.支那の夜 支那の夜よ港のあかり むらさきの夜よ のぼるジャンクの 夢の船 あゝあゝ忘られぬ 胡弓の音 支那の夜 夢の夜 2.支那の夜 支那の夜よ 柳の窓に ランタン揺れて 赤い鳥籠 支那娘 あゝあゝやるせない 愛の唄 支那の夜 夢の夜 3.支那の夜 支那の夜よ 君待つ宵は 欄干の雨に 花も散る散る 紅も散る あゝあゝ別れても 忘らりょか 支那の夜 夢の夜 流行歌「支那の夜」のヒットを受けて、1940年に同じタイトルの日本映画が作られた。中国大陸での上映も行われたが、「支那」という言葉が問題となってタイトルを変えて上映されたりした。 国策プロパガンダとの批判も多かったが、恋愛シーンは検閲にもかかり、歴史学者の古川隆久は国策映画説を否定し、「典型的な娯楽映画」であると主張している。 かつては敬意をもって使われていた言葉が、権力者の交代によって蔑(さげす)まれて使用されるようになった例は多く見られる。「エミシ」や「クマソ」がそうである。「支那」も本来は輝かしい言葉であったものが、日中戦争による敵対感情によってゆがめられた言葉の一つではなかろうか。 中国大陸には固有の地名として支那が存在している。古代において中国大陸から海を渡って日本列島に移り住んだ人々もいるだろう。恩師はよく「中国は長男、韓国は次男、日本は三男」という話をしておられた。列島の倭人が支那の先進文化や支那人の技術に触れた時にどれほど驚き敬意を払ったことだろう。 「支那津彦という神様は、雲南省から日本にやって来た」との説もある。何らかの配慮(ワープロ変換で「支那」が一発で出ないのも配慮か?)があったのか、ある段階で「支那」が「志那」や「級長(しな)」になって、単に風の神様とされている。 徳島県では、天都賀佐比古神社(美馬市美馬町轟32)に級長津彦命・級長津姫命が、天都賀佐彦神社(美馬市美馬町西荒川48)に級長戸辺命が祀られている。高知県では主祭神として志那都比古命を祀る神社をあまり聞かないが、じつは土佐国の一宮・土佐神社の夏祭りで「志那ね様」と呼ばれる祭りが行われている。表記は「志那〜」だが、もしかすると支那にルーツ(根)を持っているのではないだろうか。 言葉が似ているだけでは十分な論証にはならない。けれども、中国大陸とのつながりを考えるようになった背景には、いくつかの根拠がある。それらについてはまた、機会を改めて言及してみたい。 PR |
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