安芸郡芸西村の和食宇佐八幡宮に高良神社が境内社として存在しているらしいという情報を以前から目にはしていた。9月の安芸郡調査の際にも寄りたいと思いつつも気付かずに通り過ぎてしまっていた。国道55号線から北に入った金岡山という大ざっぱなロケーションは把握していたので、今回は何とか神社の裏手にたどり着くことができ、やっと現地確認することができた。
まずは沢山の境内社に驚かされた。高知県の神社には案内板のないところが多く、現地調査だけでは分からないことだらけ。かろうじて池に浮かぶ(この日は水が涸れて空堀のようになっていた)厳島神社だけは分かった。
そして、一番西の端が延喜式内社論争にもなった坂本神社であろう。写真で見た覚えがある。ホームページ「高知県の観光」によると、摂社が15社ある中で主なものは5社として紹介されている。
境內には攝社が十五あるがその中にて主なるものは五社で本社の左脇は帶媛神社と云ひ祭神は氣比大神帶媛大神のニ坐にて万治三子年九月八日の勸請である、神社の右脇は高良神社にて祭神高良玉垂命で由緒は方治三年子九月八日勸請になつて居る、高良神社の西側は嚴島神社で須勢現毘賣命を祭り萬治三年九月八日の勸請である、その西側は九頭神社で祭神は砥鹿串神にて承應ニ年本村住人野老山惣左箱門と云ふもの同村字九頭神と云ふ處を開墾中神像を掘り得て祭祀し初めしによる、九頭神社の西側は坂本神社にてこれは由緖舊く慶長十三歲猛夏吉日大工小助と記載せる棟札出でたことがある。
高良神社は本殿の右脇、参拝者から見るとすぐ左手側になる。羽根八幡宮や野根八幡宮と同じ脇宮タイプとして鎮座している。文献と照らし合わせないと何も分からず、徒労に終わるところだった。
東から順に①帯媛神社 ②高良神社 ③厳島神社 ④九頭神社 ⑤坂本神社 と境内社が並ぶこの配置は……。もしや『皆山集1』のあの図ではあるまいか。ずっと気になっていた図だったので、ふと思い出して確認したところ、ピッタリ一致する。間違いなさそうである。
「安芸郡奈半利村坂本神社」と書かれているが、ここ芸西村和食の宇佐八幡宮境内の図であったのだ。「謎は解けたよ、ワトソン君」と言いたい気分である。この坂本神社については、さらに掘り下げていく必要がありそうなので、改めて論じることにしたい。
PR
この記事にコメントする
無題
はじめまして。皆山集に宇佐八幡宮の境内図が奈半利の坂本神社として載っているのですね!この地にあった坂本神社が奈半利の多気神社へ合祀されたという事なのでしょうか。紀氏は石清水八幡宮の社家なので、八幡宮とは関係が深そうです。ところでなぜ王子宮の方を坂本神社とする説があったのでしょうか??
芸西はキシ、和食はフシと読めそうなので、紀氏・布師氏・坂本氏という武内宿禰の子孫らがこの辺りに住んでいたのかもしれませんね。「貞観8年(866)5月22日土佐国坂本神従五位下」とありますので、紀夏井が866年4月に応天門の変で流罪になった事と関係がありそうです。紀夏井邸跡(香南市野市町)からは少し遠いようですが。応天門の変は「紀氏の政界における没落を決定的なものとした」そうなので、一緒に流罪になった人達が居たのか、讃岐に多かった紀氏や坂本氏らが、讃岐守だった紀夏井を助けるために来たのかもしれません。紀夏井は大変な人気者だったようです。
奈半郷の北川村に武内氏がおられたので(紀貫之の子が生まれてから紀氏に改姓)、そちらを頼って後に移動したのかもしれません。藤村捕鯨・製糸(藤村&坂本家)が多気坂本神社の橋や手水鉢を奉納しています。
芸西はキシ、和食はフシと読めそうなので、紀氏・布師氏・坂本氏という武内宿禰の子孫らがこの辺りに住んでいたのかもしれませんね。「貞観8年(866)5月22日土佐国坂本神従五位下」とありますので、紀夏井が866年4月に応天門の変で流罪になった事と関係がありそうです。紀夏井邸跡(香南市野市町)からは少し遠いようですが。応天門の変は「紀氏の政界における没落を決定的なものとした」そうなので、一緒に流罪になった人達が居たのか、讃岐に多かった紀氏や坂本氏らが、讃岐守だった紀夏井を助けるために来たのかもしれません。紀夏井は大変な人気者だったようです。
奈半郷の北川村に武内氏がおられたので(紀貫之の子が生まれてから紀氏に改姓)、そちらを頼って後に移動したのかもしれません。藤村捕鯨・製糸(藤村&坂本家)が多気坂本神社の橋や手水鉢を奉納しています。
Re:無題(坂本神社など)
コメントありがとうございます。
奈半利の多気神社へ合祀された坂本神社がどこから来たものかは、かつて論争がありました。その一つが芸西村からというものです。距離が離れているので、個人的には多気神社の南方近くにあったという説のほうが有力ではないかと考えています。“『芸西村史』に見る坂本神社の式内社論争”という記事を書いていますので参考までに。
王子宮については権現谷という地名と坂本権現とのつながりだったのではないかと記憶していますが、定かではありません。
紀氏関連の情報はとても参考になります。紀夏井の周辺も調べてみる必要がありそうです。今後ともよろしくお願いします。
奈半利の多気神社へ合祀された坂本神社がどこから来たものかは、かつて論争がありました。その一つが芸西村からというものです。距離が離れているので、個人的には多気神社の南方近くにあったという説のほうが有力ではないかと考えています。“『芸西村史』に見る坂本神社の式内社論争”という記事を書いていますので参考までに。
王子宮については権現谷という地名と坂本権現とのつながりだったのではないかと記憶していますが、定かではありません。
紀氏関連の情報はとても参考になります。紀夏井の周辺も調べてみる必要がありそうです。今後ともよろしくお願いします。
カレンダー
10 | 2024/11 | 12 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
カテゴリー
フリーエリア
『探訪―土左の歴史』第20号
(仁淀川歴史会、2024年7月)
600円
高知県の郷土史について、教科書にはない史実に基づく地元の歴史・地理などを少しでも知ってもらいたいとの思いからメンバーが研究した内容を発表しています。
最新CM
最新記事
(10/06)
(07/28)
(06/30)
(04/20)
(01/20)
最新TB
プロフィール
HN:
朱儒国民
性別:
非公開
職業:
塾講師
趣味:
将棋、囲碁
自己紹介:
大学時代に『「邪馬台国」はなかった』(古田武彦著)を読んで、夜寝られなくなりました。古代史に関心を持つようになったきっかけです。
算数・数学・理科・社会・国語・英語など、オールラウンドの指導経験あり。郷土史やルーツ探しなど研究を続けながら、信頼できる歴史像を探究しているところです。
算数・数学・理科・社会・国語・英語など、オールラウンドの指導経験あり。郷土史やルーツ探しなど研究を続けながら、信頼できる歴史像を探究しているところです。
ブログ内検索
最古記事
P R
忍者アナライズ