新元号「令和」発表の記者会見で、「1400年近い日本の歴史」と安倍首相は語っていた。645年大化の改新からの計算であろう。 しかし、大和朝廷における建元(元号の始まり)は701年の大宝元年であり、大化ではない。700年以前に白鳳や朱鳥もあるが、連続性がなく、大和朝廷による年号とするには疑問がある。もし、大化から始まったとすれば、大宝は改元と表現されなければならない。 平成27年賀詞交換会における新年講演会で古田武彦氏は次のように「九州年号はリアルである」という内容を語っていた。 【古田先生講演概要】 本日はこのような場を作っていただき、ありがとうございます。昨年十一月に長野県の松本深志高校で講演したばかりなので、それと同じ内容になるのかと思っておりましたが、新たなテーマが続出しましたので、それをお話ししたいと思います。 まず九州年号の問題ですが、『二中歴』に載っている九州年号が画期的であると思っています。『二中歴』では九州年号が七〇〇年に終わり、七〇一年に文武天皇の年号(大宝)に続いていますが、この七〇一年こそ、「評」が終わり「郡」に変わった年であり、これは偶然の一致ではなく、『二中歴』が示した内容が真実であり、九州年号は歴史事実である。従って、九州年号を制定した九州王朝もリアルである。これは確定論証である。九州王朝が存在しなかったことにしている『古事記』『日本書紀』こそ間違っていたことになる。……(以下略) 当然ながら、「平成」から「令和」は改元である。連続性があるからである。逆に『日本書紀』で大宝建元とされているということは王朝の交代があったことを意味する。大和朝廷以前に年号を持っていた倭国の中心王朝が別に存在していたのだ。 いわゆる「九州年号」については『二中歴』や『海東諸国紀』に連続的に記録されている。また寺社の縁起など、全国的に使用されていた形跡がある。高知県でも"小村神社の始鎮は「勝照二年(586年)」"と伝承されていた。わが国の年号の始まりについては通説を鵜呑みにせず、しっかりと検証していく必要があるだろう。 PR |
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