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 土佐清水市足摺岬の白皇神社について、「高知県西部(幡多地方)に集中する白皇神社」のところで、次のように説明した。


 白皇権現は、四国霊場38番札所「金剛福寺」の奥の院であり、金剛福寺が創建されたとされる平安時代初期の弘仁13年(822年)に、白皇山真言修験寺として創建された。同時期に熊野三所権現や白山権現が勧請されている。すなわち、白皇山(標高433m)を対象とする真言系修験の山岳信仰と位置付けされる。後に神仏分離令により白皇神社となり、白山神社に合祀された。

 これが幡多郡に集中する白皇神社の弘仁年間勧請の根拠だと当初は考えた。ところがよく精査してみると、いくつかの白皇神社は弘仁年中(810~824年)、宿毛市山田村からの勧請であり、その時点で既に勧請元となる本宮が存在していたことになる。すると金剛福寺の創建より若干早そうだ。
①白皇神社(祭神:大巳貴命、四万十市横瀬・久才川)
弘仁年間、宿毛市山田大物川の清陀神社を勧請。

②白皇神社(祭神:大巳貴命、四万十市具同字宮ノ下)
弘仁年中、宿毛市山田村大物川に坐す大巳貴神を勧請。



 この山田村(現:宿毛市山奈町山田)は平安時代初期の幡多五郷の一つの山田郷や中世の山田郷の中心地であり、政治的にも重要な地域であった。平田古墳群の近くであり、芳奈遺跡や小島遺跡などのように弥生時代から古墳時代にかけての土器が多量に出土する。波多国造が治めた波多国の国庁近くの穀倉地帯の一つと考えられる。
 山田八幡宮に幡多郡の社頭家が置かれたことから、宗教的にも中心であったのだろう。少なくとも2社、弘仁年中に山田村から白皇神社の勧請がなされたという伝承が残っているということは、実質はもっと多くの白皇神社がその当時、幡多郡の村々へ一斉に勧請された可能性が見えてくる。
 そして『高知県神社明細帳』に次の記載のある白皇神社こそが、山田村の本宮あるいは奥宮的な位置づけではなかったかと推測する。

高知県土佐国幡多郡山田村字一生原宮ノコウラ鎮座
無格社
白皇神社
一祭神 大己貴命
一由緒 勧請年月縁起沿革等未詳
○神社牒云白皇権現(一曰白皇四社又白皇権現二座小宮)右弘仁年中勧請ト云伝記文無之不知宮床弐代御山方根居ニ不入無貢革室(へん革つくり室)谷八尺ニ一丈茅葺地下作事内ニ三尺四方板葺小宮有之、宮林長二十五間横拾五間南新田、西川、東北明所山限、鰐口一


 一生原(いっちゅうばら)は山田から15kmほど山道を入った大物川の上流で、かつては森林鉄道も通っていたが、小学校も廃校となり、平成16年度の中筋川総合開発によるダム建設のため、一生原地区の氏神を八幡宮境内に遷座した。残された須多ノ舞神社では毎年宮司が通って神事が行われ続けているようだ。さらに注目すべきは、白皇神社の鎮座地の小字が「宮ノコウラ」となっていることだ。どう考えても高良(こうら)神社の宮跡としか思えない地名である。とすれば弘仁年間以前に高良神社が鎮座していたことになる。


 中古以来、卜部(吉田)・白川の両家が各々その家法によって祭式を一般神職に伝授した。地方の神職は京都に上ってその伝授を受けて、神道裁許状を授けられ、あるいは受領位階の勅許を得て神道状を受ける。これを俗に「京官を受けに行く」と言っていた。
 神祇伯であった白川家をしのいで神職の任免権を得、権勢に乗じた吉田兼倶はさらに神祇管領長上という称を用いて、「宗源宣旨」を以って地方の神社に神位を授け、また神職の位階を授ける権限を与えられて、吉田家をほぼ全国の神社・神職をその勢力下に収めた神道の家元的な立場に押し上げていった。
 くり返すが、幡多郡のみ社頭家による「吉田家直支配」がなされたことは、古来より幡多地方がいかに重要であったかが分かる。
『南海通記』(香西資成著)にも「上古ハ御領ニシテ領主ニ属セス」と記されている。「上古」という表記は摂関家・一条教房公の幡多郡下向(1468年)より、もっと古い時代を指している。


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 大学時代に『「邪馬台国」はなかった』(古田武彦著)を読んで、夜寝られなくなりました。古代史に関心を持つようになったきっかけです。
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