高知市春野町弘岡中1113に鎮座する荒倉神社は、約1300年前に吉野の丹生川上神社から天闇靇大神を勧請したと言い伝えられている。後に春日大社および諏訪大社からも併せて四柱の神様を勧請している。
周辺には横手古墳、後田遺跡がある。しかも後田遺跡から川の神を祀(まつ)る祭器である古墳時代の土器などが多数出土しているので、六~七世紀頃には古代村落が成立していたと推測できる。
1300年前というと丁度、大宝年間(701~704年)前後に当たり、「コウラ」という場所に建つ八坂神社でも触れた九州王朝から大和朝廷への政権交代の節目である。全国的に見ても大宝年間の勧請とされる神社は多く、同時多発的に広範囲でなされた出来事は政治権力による政策の反映と見るべきだろう。
竹崎五郎著『高知県神社誌』には、「戦国時代に本山茂辰に、江戸時代に二代藩主山内忠義以降の歴代藩主に篤く信仰され神殿の造営や社領の寄付などがあって保護されていた」とある。
裏山が山内家の狩場とされ、境内で煮炊きをした際に、残り火で神社が全焼し、古い資料が焼失してしまったことが実に残念でならない。
[1回]
PR