かつては「仁徳天皇陵」、今では「大山古墳」または「大仙陵古墳」というように歴史の教科書表記が変化した。ユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界文化遺産に登録されようとして、話題沸騰中の「百舌鳥・古市古墳群」の一つ、大阪府堺市にある国内最大の前方後円墳「大仙古墳(伝・仁徳天皇陵)」のことである。 なぜ「仁徳天皇陵」と呼ばなくなったのかというと、埋葬者が仁徳天皇でない可能性が高いためであろう。『日本書紀』などに伝えられる仁徳・履中の在位順とは逆に、履中天皇陵古墳よりも後で築造されたことが分かってきたからである。 ところで、若宮神社の祭神が一般的には仁徳天皇とされている。高知県の場合は羽根八幡宮(室戸市羽根町乙戎町1318)の摂社・若宮八幡宮や安田八幡宮(安芸郡安田町安田2170)の摂社・若宮神社などには仁徳天皇が祀られているが、大半は氏族の先祖神が祀られていたり、祭神がはっきりしないところも多い。どろんこ祭りで有名な若宮八幡宮(高知市長浜6600番地)にも仁徳天皇は祀られていない。 最近、愛媛県側の社寺関係古文書に面白そうなものを発見をした。宇和島領となっているが、町村名から判断すると今でいう南宇和郡に相当する地域である。高知県幡多郡に隣接する地域で、平安初期は幡多郡五郷の中に「宇和郷」があったことから、もしかしたら古くは土佐国に含まれていた可能性もある。 何が興味を惹かれたかというと、リストの中に若宮神社が多いことである。51社中17社、すなわち3分の1が若宮神社である。とりわけても海岸の集落である浦に集中しているようだ。この地域を取り仕切る神主が京都に上って、神祇官領外部(吉田家)のところまで、いわゆる「京官」を受けに行き、神道啓状として社職の許可を得たものであろう。 愛媛県側にも仁徳天皇を祀らない若宮神社があるということは、一部聞いていた。このリストに祭神までは書かれていないので判断しかねるが、この密集度はただならぬものを感じる。 大山古墳の問題に話を戻そう。被葬者が仁徳天皇でないとしたら、誰が埋葬された古墳なのか? 古墳時代から近畿天皇家の政権が連綿と続いていたとするなら、その伝承が失われてしまうなど考えにくい。大和朝廷に先行する王権の存在も可能性として考えるべきかもしれない。 また、本当の仁徳天皇陵はどこにあるのか。そもそも善政を行ったと伝えられる仁徳天皇とは何者で、どこを拠点として活動していたのかなど。大和朝廷一元史観では見えない部分を多元的な視点で見直そうとする動きが、天皇陵の名称問題からも感じられる。
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