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侏儒国を舞台とした推理小説『「古代四国王朝の謎」殺人事件』
 「侏儒国」に関する本がないかと図書館で検索したら『「古代四国王朝(シュジュコク)の謎」殺人事件』(吉岡道夫著、1994年)という書き下ろし長編推理小説がヒットした。学術的な本ではないが、どのような説を背景として描いているかという興味もあったので、とりあえず読んでみることにした。

 表紙の扉に次のような「著者のことば」が書かれている。
 千数百年の昔、四国に繁栄をきわめた古代王朝があったことは、中国の史書にも片鱗が記されています。この国の民は黒潮に乗って中国大陸はもとより、遠く中南米にまで航路をのばしていたようです。羅針盤もなしに大海を渡る古代人にとって、足摺岬はまたとないランドマークだったのではないでしょうか。

 あらすじは本の裏表紙に出ている。以下のような内容だ。


 フリーライター・叶雅之が解読依頼を受けた奇妙な古文書。依頼主・秋月久子は、自殺した伯父・田代嘉吉からこの古文書に莫大な価値があると教えられていた。だが、直後に久子が奇怪な姿で殺害される。嘉吉の自殺にも不審な点が浮かび、久子殺害の陰に古文書の謎があると叶は確信。はたして、古文書に係わる人間が次々に惨殺される。古文書解読の結果、日本古代史を揺るがす大きな発見を知った叶は、足摺岬へ。そこでは十一年前から連綿と続く巧妙な犯罪が待ち受けていた…。古代四国に存在した侏儒国とは。冷酷な犯罪構図と歴史推理との絶妙な融合。

 確かに推理小説ではあるが、ストーリーの背景には学術的根拠も読み取れる。作品中に次のような話が出ている。

 『なかでも私は魏志倭人傳のなかに記されている[侏儒國]という小国に強い興味をそそられました。なぜならこの侏儒国は、私見によるとわが郷土、高知のほかにはないと考えたからであります……』
 そこで嘉吉はその推論を一年がかりで論文にまとめあげて、著名な歴史学者である大学教授に送り、礼を尽くして披見を仰いだのである。
 ……(中略)……
 ここで肝腎なのは[魏志倭人傳]では女王『卑彌呼』が統治していた国は[邪馬壹国(やまいちこく)]と記されていることだ。
 これを『ヤマタイコク』とはどうしても読めない。『ヤマイチコク』としか読みようがない。
 ……(中略)……
 ――女王國の東、海を渡る千餘里、復(ま)た國有り、皆倭種なり。又侏儒国有り、其の南に在り。人の長(たけ)三、四尺、女王を去る四千餘里。
 ……(中略)……たしかに[魏志倭人傳]の旅程をたどれば『侏儒國』は現在の高知県だと考えるのは、あたらずといえども遠からずだということになる。
 なぜなら[魏志倭人傳]の『侏儒國』の記述の後に、
 ――又裸國・黒齒國有り。復た其の東南に在り。船行一年にして至る可し。
とあるからだ。
 ……(中略)……それらの国は中南米の諸国、または南米のエクアドル、ペルー、チリあたりではなかろうか……。
 そうなると、日本からの船出の基地は、南九州の突端、薩摩半島か大隅半島。もしくは南四国の足摺岬か、室戸岬ということになってくる。

 原文尊重の「邪馬壹国」および「侏儒国を足摺岬付近に比定」する考えなど、明らかに古田武彦説に影響を受けたと思われる内容である。巻末の参考文献と著者のコメントを読んで、その印象が間違いなかったことが確かめられた。
『参考文献』
[足摺岬に古代大文明圏]古田武彦著 THIS IS 読売・一九九三年七月号掲載

 尚、この作品を書くにあたり古田武彦氏の論文を参考にさせて頂いたことに謝意を述べさせていただきます。     著者

遺跡案内
 古田武彦氏は1993年に土佐清水市の協力を得て、足摺岬周辺の巨大遺構ーー唐人石・唐人駄場・佐田山を中心とする調査を行っている。その時の実験によって、鏡岩と呼ばれる巨石が縄文時代の灯台としての役割を果たし得ていたであろうことが確認された。
 唐人駄場遺跡は四国南西部において縄文時代の石鏃出土が最多であることを地元の考古学者・木村剛男氏も言及しておられた。また、現在はキャンプ場となっている遺跡南方の公園は、かつては世界最大級のストーンサークルであったことが分かっている。
 さらに幡多地方には高知県で唯一の前方後円墳とされる平田曽我山古墳(宿毛市平田町戸内)が存在する。後の歴史でも太平洋航海の拠点であったことは、補陀落渡海の出発地となり、鎌倉時代に船所職(ふなどころしき)が置かれたことなどからも推測できる。
 推理小説『「古代四国王朝の謎」殺人事件』のラストは侏儒国王の墳墓にたどり着くことになるのだが、現実にはどこに侏儒国を見出すことができるだろうか?



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【2019/05/23 12:46 】 | 侏儒国の歴史 | 有り難いご意見(0)
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