待ちに待っていたニュースが飛び込んできた。高知県香南市野市町下井の高田遺跡の発掘調査で古代官道と見られる県内最大の道路遺構が発見されたのだ。「高知 NEWS WEB」では、次のように報道している。 古代の道路跡は「南海道」か12月13日 17時09分 香南市で行われていた遺跡の発掘調査で幅10メートルを超える古代の大きな道路の跡が確認されました。いまから1300年ほど前の奈良時代に、中央と地方を結んだ、「南海道」ではないかと見られています。 道路跡が見つかったのは香南市野市町の高田遺跡です。高知県の埋蔵文化財センターが高速道路の工事に伴う今年度の発掘調査で確認し、13日に報道関係者に公開されました。 見つかったのは、並行にまっすぐ伸びる2本の溝で、溝と溝との幅は10メートル長さは170メートルに及び、古代の大きな道路の跡とみられています。 この近くでは、いまから1300年ほど前の、奈良時代の建物の跡なども見つかっていることから、この道路は、奈良時代に、中央集権国家を目指し朝廷が整備した、中央と地方を結ぶ幹線道路である「南海道」の可能性が高いということです。 高知県内で、南海道とみられる道が見つかったのは初めてで、これまでに香川県の一部でのみ見つかっている南海道と比べても、かなり規模が大きいということです。 調査にあたった県の埋蔵文化財センターの池澤俊幸さんは「中央にいち早く情報を伝達するのに馬が走れる大きな道路が必要だったと考えられる。本来、推定されている南海道のルートとは異なる場所での発見だが、道路の特徴などから、南海道の可能性は高い」と話していました。 今回の遺跡調査の結果については、今月16日、一般向けの現地説明会が予定されています。 まずお断わりしておくが、古代官道と見られる道路遺構の発見は県内で2例目である。ちょうど10年前の平成20年、南国市の士島田遺跡で幅6メートルの古代南海道の一部と見られる遺構が見つかっている。「本来、推定されている南海道のルート」とコメントされているのは、南国市比江の推定国府跡から東西に伸びるルート(条里余剰帯の存在などを根拠とする)のことであろうか。そこからはかなり南方を東西に走っていることになる。 「遺構は偶然にも高知東部自動車道・南国安芸道路の建設予定地で見つかり、県立埋蔵文化財センターは『最短距離で人や物を運ぶ現代の高速道路と古代の官道のルートが一致する事例は全国にもあり、大変面白い』」とした報道もあるが、もし、このコースを全く想定していなかったとしたら研究不足かもしれない。一部の郷土史家の間では、この位置に古代官道が発見されて当然と見る者もいる。 現地説明会の内容は聞いていないが、今回の発掘調査で整合性が見えてきた感もある。土佐国の南海道については、718(養老2)年以前は伊予国経由の西回りであったものが、718年に阿波国経由の野根山街道を経由するルートに変更された。この「南海道の付け替え」は九州王朝から大和朝廷への政権交代(701年のONライン)によるものとする指摘もある。さらに796(延暦15)年、国府から北に向かう北山越え(大豊、川之江方面経由)に変更されている。 今回発見された古代官道は718〜796年の間に使用された道路と考えられる。国府から南下し、士島田遺跡と廿枝を経てさらに南へ。香長中学校(道路遺構らしきものが見つかっている)あたりを通るように東へ向かい、そのまま高知龍馬空港の北側を通過し、物部川を渡って、今回見つかった高田遺跡の道路遺構にほぼ直線的に連結するようなルートである。 今後の課題として、①さらに東の延長がどのように伸びているのか? また、②国府以西がどのコースを通っているかーー従来の想定位置、国分寺北側からほぼ真西(土佐北街道沿い)に逢坂峠方面ヘ伸びているのか? あるいは、今回発見された南方のルートを香長中学校あたりから、そのままほぼ真西に伸びているのか? 「古代南海道を探せ」と銘打って情報発信してきた古代南海道研究が新たなステージに入ったと言えるだろう。 PR |
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