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 岡豊城跡のすぐ北の山頂に鎮座する岡豊別宮八幡宮(南国市岡豊町八幡)。正面の階段からの登ろうと思ったが車を停める場所がない。裏側に回るとヤマト運輸の横から山に登る小道がある。高知の道はどこでも似たようなものだが車で上がって、無事戻れるのか心配になる。ちなみに「ヤマトの諸君」は交通安全祈願のため毎月、神社にお参りしているらしい。


 さて、拝殿の左手に境内社がズラリと並んで祀られている。7社とも同じような形であり、何も説明がないので、それぞれ何が祀られているか分からない。
 この山は男山とも呼ばれ、石清水八幡宮との繋がりを指摘する人もいる。そうであれば摂社に高良神社があっても不思議ではない。右手奥にも境内社があり、他の八幡宮の例では拝殿に向かって右手側に高良神社が祀られていることが多い。


 かつては長宗我部氏ゆかりの品を多く所蔵していたが、大正年間の大火で大半が焼失したという。

 現在は元親が画工真重に命じて作らせたという三十六歌仙の画額14枚と、出陣の際使用したと伝えられる熊蜂の盃があるのみ。ともに県立歴史民俗資料館が保管している。
 当宮の宮司谷氏の祖である大神氏は、大和国三輪山(大神神社)から土佐に移り、その子孫は谷左近、谷秦山、谷干城など土佐の名族に発展したという。
 当社を土佐国分寺の守護神、いわゆる国分八幡宮とする説がある。当社は、土佐国分寺の西方に位置し、国分寺もやはり元親による再建が伝わっている。
 土佐国の一国一社の八幡宮、いわゆる国府八幡宮は不詳とされるが、『皆山集①』に登場する豊岡八幡宮について、高良神社を含む摂社十数社が記載されている。石段途中にも恵比須神社や大山祇大神など五社ほどあるので、摂社の数からするほぼ一致する。
 確認はとれていないが、岡豊別宮八幡宮の境内社の1つが高良神社である可能性は高い。

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 大学時代に『「邪馬台国」はなかった』(古田武彦著)を読んで、夜寝られなくなりました。古代史に関心を持つようになったきっかけです。
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